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学長室

学長メッセージ集

No.15最近、納得したこと ――『健全な精神は健全な肉体に宿る?』―― 

2014.05.22

人間は感性と理性を備えています。物事を理解する上で、感覚(感性)的に理解する、ということと、論理(理性)的に理解する、ということは私たちにとってはほぼ対等です。私たちの学んだ「数学」は論理のかたまりです。しかし、ある有名な数学者が、『数学は論理だけでなく、感性も必要であり、むしろそれが新しい理論を作っていく』という意味のことを、何かの対談で述べていたことを覚えています。

数学ですので、感覚(感性)的なことが出発点であっても、それを論理(理性)的に組み立てていくことに間違いはありませんが、私の場合は、大学院修士時代に、応用数学が専門の指導教授に「1+1=2と言っている限り、何も新しいことは出てきませんよ」、と言われたことを今でも覚えています。その時は全く理解できませんでしたが、後になって考えてみますと、論理的なものだけではなく、感覚、ひらめきがなければ何も新しいことは出てこない、とおっしゃっていたのでしょう。

議論する場合や物事を理解しようとする場合、どうしても「論理」が勝っているように思います。感覚的に何かおかしいな、と思われることでも、弁が立ち、短時間で論理を組み立てることができる、いわゆる頭の良い人に説得されてしまいます。しかし、後でゆっくり考えてみると、意外に感覚的に捉えていたことが適切な結論を導くことがあります。ですから、私は感覚的に納得できない問題に対しては、できるだけ短時間で結論を出さないようにしています。「感覚」あるいは「直感」が最も大事で、論理はついて回るのではないかと思うようになっているからです。人間は理性と感性の動物で、どちらも大切にしなければいけないと思います。

私は中学校の保健体育の時間に、『健全な精神は健全な肉体に宿る』ということを何度か教えられました。人間の健康が精神の健全さの源であり、健康こそが基本的に大事であるということです。そしてそれがある有名な人(ユウェナリスJuvenalis 60-136:古代ローマ時代の詩人、弁護士)の言葉であることも教えられました。私は、確かにそうでしょう、そのようなものかな、と長い間考えながら過ごしていました。健康であることは本当に心から感謝すべきことで、肉体的に健康だからこそ、元気で何事にも積極的になり、いい意味で挑戦的になり、多くのことを成すことができます。年を重ねるにつれ老人となり、多くの人は健康上の問題で、どうしても活動が鈍ってきますし、気力も落ちることも確かです。しかし、健全(健康)を強調すればするほど、健康でない人に健全な精神が宿らない、と聞こえてしまいます。感覚的に何かおかしいなと思います。実際、体が弱く、肉体的に健康でなくとも、健康な人以上に優しく、細やかな気持ちを持ち、愛に溢れた健全な精神を持っている多くの人々がいるからです。『健全な精神は健全な肉体に宿る』を一つの格言と考えれば、気にする必要はないかもしれません。しかし、私が幼い時に学び、覚えたように、あたかも一つの真理として大変説得力を持って私たちに迫ってきているようにも思えることがあるので、気になります。

あることがきっかけで、その格言に疑問になり、インターネットで探索してみました。その結果、この格言はもともとラテン語で書かれた文の英訳:
You ought to pray for a healthy mind in a healthy body.
の一部であるとのことで、これは直訳です。直訳は必ずしも正しいわけではなく、文脈の関係から考えれば、正しくは
You ought to pray that both mind and body be healthy
とのこと。つまり格言の真の意味は『心身ともに健康であることを祈るべきである』とのことです(http://www.geocities.jp/hgonzaemon/intro_juvenal_intro.html)。なるほど、この意味なら、私が感覚的に捉えたことと一致することが分かり、私の疑問も消えました。

物事を考える上で、人に自分の考えを正しく伝えるには、論理を大事にしなければなりません。しかし、感性(感覚)で理解できない論理は本物の論理ではないのではないかと思います。論理を組み立てるには緻密な考え、確固とした知識が必要です。しかし、感覚的に捉えるためには、これまで自分が得てきた経験、知識の他に、人間として、あるいは動物としての基本的なことが根底になければなりません。人間としての感覚をシャープにしなければならないことをこの頃痛切に感じています。そのためにどうするかの王道はないのかもしれませんが。