東北工業大学

工学部

環境応用化学課程

加藤 善大教授

Kato Zenta

PROFILE

北海道大学工学部金属工学科を卒業後、塗装亜鉛めっき鋼板メーカーに就職。その後、同大学博士課程に進学。2004年3月に博士(工学)の学位を取得。同年4月に本学の客員研究員として着任。2006年4月から工学部環境情報工学科で講師、准教授。2021年4月から環境応用化学科(現 環境応用化学課程)の教授。

担当科目
電気化学
物理化学 I
無機化学
有機・無機材料
応用化学実験
卒業研修
環境材料 化学特論(大学院)
研究室・教員紹介

※教員の所属・役職は取材当時のものです。

THEME水素社会の実現へ
水電解用電極材料の技術革新を進める

THEME水素社会の実現へ
水電解用電極材料の技術革新を進める

化石燃料の枯渇やエネルギーの課題の解決のため「グローバル二酸化炭素リサイクル」の実現のために、電極および触媒材料の創製に関する研究に注力している加藤先生。特に、グリーン水素の大量製造のため海水による直接電解を想定し、その海水電解の技術開発を進めています。本学で長く活躍されていた橋本功二名誉教授の研究に賛同した研究者および企業の開発者とともに酸素発生電極触媒の高性能化に向けた研究開発に情熱を傾けています。

研究者として、二人からの教え

本学に来るきっかけになったのは。

東北大学金属材料研究所と本学で長く教育研究に勤しまれていた腐食・防食材料、アモルファス合金、電極触媒、電気化学材料などの研究の第一人者、橋本功二先生の下へポスドクとして行くことを北大の恩師、高橋英明先生から勧められました。A4用紙2枚に書かれた橋本先生の日本のエネルギー政策に関する熱いメッセージを受け取り、2004年4月から本学での大機エンジニアリングからの招聘研究員として2年働き、2006年4月、本学の講師に採用され、教員としての道を歩むことになりました。

恩師 高橋先生との出会いとは。

大学卒業後は一般企業に就職しました。「先が見えた」という若者が陥りやすい感情が芽生え、10カ月足らずで退職となりました。試行錯誤の毎日を送り、大学の恩師に大学院への進学を申し出て研究生として半年、博士課程の5年間、研究させていただきました。学部時代、これと言って打ち込むこともなく、唯一頑張ったことは卒論研究でした。データの取り方からまとめ方、要旨などの文章の書き方から発表の仕方まで丁寧に指導していただきました。大学院時代は、未知のものに向かいそれが実験で見えてきた時の感動、日本のみならず海外での学会発表も当日まで実験に追われますが、楽しく貴重な毎日を過ごせました。高橋先生に言われて深く印象に残っているのが、「組織に10人の人がいれば1人が優秀、8人は普通、1人は普段ダメだとみなされている人。ひとたび危機が迫れば、皆を救えるのはダメだとみなされている人だ」という視点です。そのように高橋先生が考える人でなければ、研究を続けることはできなかったのかもしれません。研究者としての素養を身に付けているから研究者になれたのではなく、2人の恩師との出会いを経たからこそ、大学院時代で取り組んだことをそのまま加藤研の学生と続けられるのだと思います。

橋本先生のエネルギーに対する考え方とは。

再生可能エネルギーで全世界の持続的発展を目指す「グローバル二酸化炭素リサイクル」を提唱し、研究に取り組んでいた橋本先生との出会いが、本学における私の出発点になりました。1990年代、化石燃料が枯渇する未来を予測し、再生可能エネルギーのシステムを社会に取り入れていこうという動きが盛んでした。その第一線で研究に取り組んでいたのが橋本先生で、太陽光の利用から始まり、そのエネルギーを使って海水を電気分解して水素を作り、その水素を火力発電所などのエネルギー消費地で回収した二酸化炭素と触媒上で反応させてメタンを作り、それを燃焼させて発電してエネルギーを作り出すシステムを構想していました。その要素材料の海水電解用酸素発生陽極や二酸化炭素と水素からメタンを生成するメタネーション触媒の開発に取り組んでいた橋本先生の下で学び、ご退職後にも共に研究を続けてきました。

科学技術を学ぶ意義を示しながら
次世代を切り拓く若者たちを輩出

どんな研究に取り組んでいますか。

加藤研究室では、グローバル二酸化炭素リサイクルの実現に欠かせない要素材料の研究をしています。水の電気分解に関わる研究に取り組んでおり、特に海水やアルカリ水を利用した水素製造のための電極の創製とその周辺技術の開発に力を入れています。最近は、プロトン交換膜水電解(PEM水電解)に使う新規の酸素発生電極触媒にも取り組んでおります。中でも、海水の電気分解では通常の陽極を使うと塩素が発生しますが、私たちの研究室で開発している陽極では酸素のみを生成することができます。電極基板の表面にアノード電着や熱分解で触媒物質を析出させる方法で電極を作製し、その触媒性能を電気化学測定で分析します。

加藤先生にとっての「未来のエスキース」とは。

学生たちが、この研究室で過ごす1年半で得られるものでしょうか。環境応用化学課程の学生たちの多くは、卒業後の将来像に具体的なイメージを持っていないことが多いように見受けられます。ですから、この研究室を選んでくれた学生、奇しくも選ばざる得なかった学生には、私の専門分野の指導を受けながら実験を繰り返し、科学技術への興味を高める下地を培ってあげられればと思っています。そして、就職や進学に役立つ知識や考え方を経験の積み重ねによりしっかり固めた上で、それぞれが望む未来へ向かってほしいと願っています。

研究室の様子(2025年度研究室配属3年生歓迎会)

COLUMN

わたしと

「どこの出身ですか?」

石狩で過ごした子ども時代

東北工業大学も北は北海道、南は沖縄と様々な出身の学生がいます。私は、人から「どこの出身ですか?」と聞かれた時は説明が面倒なので札幌市と答えます。札幌の近隣の恵庭市、石狩市そして江別市と住んでいて札幌市には住んだことがありません。実家があるのは江別市ですが、出身(人格形成や文化的背景に大きな影響を受けた土地)は石狩市です。石狩市には、5歳から13歳までという多感な時期に過ごしました。夏は石狩浜での海水浴やクワガタ取り、冬は学校の裏山でスキーと遊びには事欠きませんでした。昔、日本海側の沿岸、石狩市もそうですが、1950年頃までは春になると大量のニシンが獲れたそうです。ソーラン節は、ニシン漁の際に歌われた「作業唄」です。小学生の頃は、毎年運動会でソーラン節に合わせて盆踊りのように踊っていました。今は、高知県のよさこい祭りの鳴子踊りとソーラン節が組み合わさったYOSAKOIソーラン祭りが札幌を発祥に始まり、全国に広がりました。私の子どもたちもテンポのいい曲に合わせて毎年踊っていました。手の動きなどは、昔の踊りの名残があります。皆さんどこの出身ですか。