東北工業大学

ライフデザイン学部

経営デザイン学科

猿渡 学教授

Saruwatari Manabu

PROFILE

東北大学文学部で国文学を学び、大学院に進学。1991年3月に修士(文学)の学位を取得。1996年5月から1998年3月まで同大で助手を務めた後、1998年4月から本学工学部人間科学センターの講師に就任、2005年に助教授となる。2008年4月からライフデザイン学部 経営コミュニケーション学科の准教授、教授を歴任。2025年4月から現学科名の経営デザイン学科の教授として教鞭を執り、2026年4月から学科長も務める。

担当科目
映像・イメージ学
映像制作実習 I・II
身体表現研究
メディアコミュニケーション入門
研究室・教員紹介

※教員の所属・役職は取材当時のものです。

THEME心を揺さぶるメッセージを伝える
写真や映像の可能性を探究

THEME心を揺さぶるメッセージを伝える
写真や映像の可能性を探究

写真や映像といったメディアを通じて“表現すること”にこだわった研究と実践を行っている猿渡先生。学生には、理論や技術の習得を大切にしながらも、手業にとらわれることなく自己のメッセージを伝えることを重視した指導に当たっています。撮影機器などの目覚ましい進歩で表現の幅がますます広がりを見せている昨今、予定調和の中では生まれることのない、実感や熱が込められた作品こそが今求められているとも説いています。

研究室の様子

雅な古典文学の研究から学んだ
情感豊かな表現世界の魅力

大学における学びの出発点とは。

大学では日本の古典文学を専攻しました。読書が好きで、高校生の時には小説のコンテストに応募したこともあります。大学3年生の時、研究室の所属を決める際、「一番長そうな文学作品がいいな」と考えて選んだのが『源氏物語』です。その志望を聞いた周囲からどよめきが起こってしまいました。修士論文も『源氏物語』で書き、東北大学文学部でも助手を務めるまでになりました。

写真や映画に取り組むようになったきっかけとは。

初めてカメラを手にしたのは高校3年生の時です。この時はまだ趣味程度だったのですが、大学の寮で写真や映画好きの友人や先輩たちと交流して専門知識や興味が深まりました。古典文学の研究者としての進路も考えはしましたが結局、自分の中で発展的なイメージを得ることができませんでした。本学に講師として着任し、教養科目の授業として文化論や映画論を担当した際、学生から映画を作ってみたいという声を聞いたのが最初のきっかけになったと思います。そして、関連分野の先生たちと交流を持つ中で、宮崎駿氏のアニメーションに関する論文を手掛けたことなどが、現在につながっています。

一つの作品として完成させる達成感と
メディアを通じて表現する意義

学生にどのような指導を行っていますか。

この研究室に入ったばかりの学生たちには、写真と映像どちらも一通り経験してもらっています。その上でどちらに適性があるか見極めてもらい、3年生の後期から希望を募っています。写真に取り組みたいという学生には毎週、作品一枚一枚に説明を加えて発表してもらい、忖度なくレビューを行っています。技術的な指導に重きを置いておらず、まずは写真の面白さを半年間で知ってもらい、そこを出発点に自ら専門的な技術や知識を高めてもらうように促します。以前、中国出身の留学生が卒業旅行でチベットに飛び、寺院や僧侶の写真を撮ってきたのですが、それが素晴らしい出来でした。現場の空気に触れ、何か感じた瞬間を逃さずシャッターを切ることの大切さを、この学生は体得できたと考えています。映像に関しては、1本の作品として仕上げる“制作部”を3年生後期に結成してもらい、それぞれシナリオや構成、撮影、音声などを担当してもらいます。部ごとに学生同士の密なコミュニケーションを図りながら、どんなカメラが必要か、どんな撮影手法を採るべきかなど技術面での検討を詰めていき、それぞれの役割を果たしていく連携の重要性を学んでもらいます。特に、撮影を行う施設や場所の許可取り、協力してくれる関係者や地域の方々への交渉といった仕込みの大変さ、そして、その丁寧な前準備こそが作品のまとまりやクオリティーを決めることを知ってもらいたくて、自主的に行動してもらうよう指導しています。

作品を仕上げるために大事な要素とは。

自分ができることを最大限にやり切ったという納得が得られ、自分が伝えたいことはこれだと確信を持って作品に熱を込められなければ、いくらきれいにまとまっていても心を打つものにはなりません。特に映像作品に関しては、あきらめず最後まで撮り切り、上映会を行うまでが一連の取り組みとなっています。事前に研究室内でディスクチェックを行う際も感想を言い合ったりしますが、何かしら後悔の念があふれ出ます。しかし、それこそが次につながる糧になり、先輩たちが後輩へ託すことができる学びの財産にもなっています。

思いもよらぬ成果に発見を求め
新鮮な感動にも出会う面白さを

猿渡先生にとっての「未来のエスキース」とは。

写真の観点でエスキースを訳すと“構図”の意味になりますが、自分が作品としてプリントしているものは、いわゆる三分割構図や黄金比といった定番のセオリーに基づいたものを必ずしもベストショットとして捉えていません。構図を決める時はいつも感覚的で、これだとひらめきを得た時しかシャッターを切りません。さらに、具体的にこんなものを撮ってみたいというような願望を常に持ち合わせているわけでもありません。私にとっての未来のエスキースとは、何が飛び出してくるか想像できない結果を、責任を持って受け止めることです。写真は、基本的に何かの痕跡を収めるもので、それがどんな意味を持つかを自分なりに引き受ける仕事です。予定調和を求めず、何ができあがるかわからない恐れを感じながらも、撮影中はどこか客観視して楽しんでいたりします。ロラン・バルトの「残るものは、いつも“意図しなかったもの”」という言葉に通ずる考え方でしょうか。過去の傷や痕跡こそが“生”そのものであり、それが感動的であるほど未来に大きな影響を与え、いつまでも残り続ける理由になると考えています。

廃墟映画館の再生プロジェクト
フィルム現像とプリント

COLUMN

わたしと

モーターサイクル/写真

風が、触れる世界

モーターサイクルで走っているときだけ、世界を“見ている”のではなく、“世界に触れられている”感覚になります。ヘルメット越しに差し込む朝の光、季節ごとに変化する空気の匂い、トンネルに入った瞬間の温度の変化…自動車では切り離されてしまうそれらが、モーターサイクルでは直接身体に届いてきます。モーターサイクルは、身体を外界へ剥き出しにする乗り物なのだと思います。
私は映像や写真表現の研究と実践を行っていますが、写真を撮るという行為は、世界との距離を測り直す行為なのかもしれません。ただ対象を記録するのではなく、自分が何に立ち止まり、何に揺さぶられたのかを確かめているように感じます。
モーターサイクルで走っていると、風景は単なる背景ではなくなります。風や光や匂いが、自分の身体に触れながら通り過ぎていく。その感覚は、シャッターを切る瞬間の感覚とどこか似ています。写真とモーターサイクルは、どちらも身体を世界に晒す行為なのかもしれません