PROFILE
1997年3月に東北大学工学部建築学科を卒業後、那須建設株式会社に入社。1998年8月~翌年3月には、伊藤邦明都市建築研究所で勤務。1999年4月に東北大学大学院工学研究科に進学し、東北文化学園大学で教鞭を執りながら、2004年に博士(工学)の学位を取得。本学ライフデザイン学部安全安心生活デザイン学科(硯生活デザイン学科)には2012年から准教授として就任。2016年に教授となり現在に至る。
- 担当科目
- 住まいの造形意匠
- ランドスケープデザイン
- 建築デザインI・IIほか
※教員の所属・役職は取材当時のものです。
THEME地域の暮らしや生業を見つめ
未来に継ぐべき住空間をデザイン
THEME地域の暮らしや生業を見つめ
未来に継ぐべき住空間をデザイン
(2026年4月発行 広報誌「工大広報 No.321」より)
古民家の再生事業や住まいのリノベーション、ランドスケープデザインまで、さまざまなプロジェクトを通して美しい場所のデザインを手がけたいと考える大沼先生。そこにどんな歴史背景があり、どんな人たちが住み、どのような生業が続けられてきたのか、現地調査を元に思索をめぐらすことで、新たな空間の価値を創り出そうとしています。そして、その場所で培われた文化や伝統を後世に伝えていくための課題にも取り組んでいます。

伝統的町並みの調査研究で知った
地域の営みが描き出す美しい景色
現在の研究へ向かうきっかけとは。
東北大学に在学中、のちに国の重要伝統的建造物群保存地区に選定される岩手県金ケ崎町城内諏訪小路に住み込みで調査を行ったことがきっかけです。そこで、現代の建築観とはまったく違った、時の積み重ねで味わいを深めた家屋を目にして感銘を受けました。住まいを丁寧に守り続けてきた地域の人々の営みに触れ、自分がこれまで建築雑誌などで目にしてきたものとは違う世界を知り、より深くその背景を知りたいと思いました。今でも新しい価値を生み出す建築の技術や先進的なデザインが好きなことは変わらないのですが、東北の風土や地域特有の課題、まちづくりの取り組みなどに興味の方向が向いています。
建設会社に入社した理由とは。
建設会社に就職したのは、建築の現場をより近くで知りたかったからです。建材や職人の技術、創意工夫をーから学びたいと思いました。修行のような気持ちで現場を体験する中で、クライアントの要望通りに設計したりデザインの革新性を求めたりするよりも、地域の背景やそこに暮らす人の思いに視点を向けることこそが自分が取り組みたい研究の方向性だと確信しました。
地方独有の建築文化や職人を訪ね
かたちやしくみを探る調査研究
造家造景研究とは。
造家は建築の原語、造景とは、地域の自然環境と人々の営みによって生まれた風景を形成、育成することです。私がなぜ心惹かれるかというと、その場所に工夫をし続けながら住み続けていくことで、長い年月をかけてより深みを増した風景が生まれるからなんです。こういうものは、早く安く価値を作りだそうとする現代のものづくりの考え方からは、決して生まれてこないものだと思っています。2019年に、本学内外の研究者メンバーで「生業景(なりわいけい)デザイン研究所」を発足しました。生業景とは、地域の資源や環境を活かして価値を生み出す地技(じわざ)を用いた生業がおりなす地域固有の景観を意味する造語で、そう名付けました。陸前地方の天然石スレートをはじめ、丸森町のシルクや塩竃市の石材建築など、各地の取り組みに対してデザイン協力や実践的研究などに取り組んでいます。
天然スレート建築の研究とは。
東日本大震災が発生する以前から調査研究に取り組んでおり、スレート屋根の建築物が残る集落をいろいろと見て歩きました。その中で、石巻市雄勝町を訪ねた際、スレート屋根葺きの家屋が並ぶ風景に魅了されました。2000年頃、私の師匠である建築家の伊藤邦明氏が、雄勝硯伝統産業会館新館の設計を手がけ、これを手伝ったこともきっかけになりました。2015年頃からは、ノーマルデザインアソシエイツ代表で本学の非常勤講師も務めている阿部正さんと共同で、陸前地方の天然スレート建築に関する調査研究を本格化させました。阿部さんとは、石盤葺きの技術を後世に伝えるためのハンドブックの執筆なども手がけてきました。雄勝硯生産販売協同組合と進めた「雄勝いしのわプロジェクト」(代表/菊地良覺特命教授)でもそうでしたが、貴重な技術を絶やさないために、投資や資金援助などの社会的な支えが必要だと重く感じています。そのためにも、天然スレート屋根の価値を広く知らしめていくことも、私の役割だと考えています。


オウレンセ県カルバジェーダ・デ・バルデ
オーラス・カサイヨ村のカサイヨ教会
興味を持った物事に没頭しながら
耳目を広げて試行錯誤を
大沼先生にとっての「未来のエスキース」とは。
最近、環境問題やグローバルなビジネスを語る上で、「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球規模で考え、地域で行動する)」という標語をよく耳にしますが、私が提唱したいのはオープン・シンク・ローカリー。”開かれた没頭”でしょうか。これまでは、グローバルな視野をもってより多くを知り、誰よりも先んじる競争論理が尊ばれていましたが、最近の学生を見ると、等身大の自分らしさや周囲との共感を大事にしているように感じ、時代の進化を感じています。それは好ましく思えるのですが、その反面、SNSなどで発信して他人に承認されないと、自己を確認できない風潮になっているようにも思えます。学生たちには、そういう考えにとらわれず、何か好きなものを見つけて没頭することで、最後には他人から評価が得られる結果を生むかもしれないことを知ってほしい。特に私のような研究に取り組んでいると、多世代の人や地域の人に心を開き、いろいろ耳を傾けていくことで得られるものが多いと感じています。学生ゆえの自由な時間だからこそ、自分が没頭できるものを見つけ、心がおもむくままに練り重ねながら、他人の意見も受け入れていき、新たな価値に出会うチャンスを得てほしいと願っています。

COLUMN
わたしと
挫折
挫折を経て得た人生の転機
令和8年は午年ですね。塞翁が馬という故事成語がありますが、何が運/不運かは分かりません。大学進学にさほど苦労しなかった少年は、封印していたエレキギターを解禁、バンド活動に勤しみます。男子校だったので今度はモテたいと、父の車を借りて遊ぶ日々。建築を志すも、入学後に学科を専攻する工学部で2年間は一般教養科目だけ。嫌いな科目を切り捨てていたら建築学科に落選、はじめての挫折です。退学も考えましたが、休学をはさんで金属材料系を一度卒業し、建築学科の3年次に学土編入学しました。すると次々に人脈が展開。建築家の伊藤邦明先生に師事し、伊藤チームの岩手金ケ崎の町並み調査に協力した本学の舛岡和夫先生(現名誉教授)に出会います。その後紆余曲折を経て、いま私は旧舛岡研で仕事をして14年。感謝の日々です。いわば落馬から転じての人々や現場との出会いに支えられているのです。あ、でも落馬をお勧めはしませんよ(笑)。


