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※教員の所属・役職及び学生の学部・課程・学科・学年は取材当時のものです。

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幸せはどこからくる?

VOL.087 小川 和久(総合教育センター)

 数年前、授業時間が90分間から100分間へ変更になったとき、この増えた10分間をどのように活用しようかと悩んだことがありました。学習内容を追加する対応も考えましたが、受講者である学生の負担を考えると、あまり良い対応だとは思えません。結局、この10分間を、その日の授業で学んだことを振り返る時間にすることとしました。
 本学で導入しているLMS(ラーニング・マネジメント・システム)に、あらかじめ振り返りシートを作っておき、学生には、今日の授業を振り返り、気づいたこと、考えたこと、何でもよいので、簡単にまとめてほしいと指示します。学生が書き込んだ振り返り内容は、すぐさま一覧表にして閲覧することができます。私はざっと目を通して、いくつかの意見に対してコメントを返します。こんなやりとりを授業の最後で行うようになってから、学生の興味関心がどこにあるのかを改めて気づくようになりましたし、何よりも「教員と学生が授業を一緒につくっている」という意識が、両者間で共有しているという気持ちになります。

 話は少し長くなりますが、私が担当している授業科目「暮らしと心理学」(2年次開講)でのエピソードを紹介しましょう。この科目では、ストレス社会の中で、いかにして「心の健康」を維持するのか、そのために役立つ心理学の考え方を学びます。第11回の授業テーマは「リフレーミング」です。リフレーミングとは、既にある枠組み(フレーム)を取り外し、できるだけ前向きで建設的な枠組みで物事を捉え直すことです。よく取り上げられる例えは、「コップに水が半分入っている」という事実に対する評価です。「コップに水が半分しか入っていないじゃないか」とネガティブに評価するか、「コップに水が半分も入っている」とポジティブに評価するか、同じ事実であっても見方は人それぞれです。事実は事実として変えようがないのであれば、できるだけ前向きにポジティブに評価する方が、気持ちが少しは楽になるのではというのがリフレーミングの考え方です。もちろん、喉が渇いているときなど、そのときどきの状況によって見方が変化することはありますが、重要な点は、事実は事実でしかなく、それに評価を与えているのは私たち自身だということです。

「水が半分しか・・・」、「水が半分も・・・」

 もう一つ例をあげましょう。数年前、年老いた私の母が入院先の病床で亡くなりました。だんだん食べられなくなり、どんどん痩せ細っていく母の姿を見ていて、私はなんと声かけしてよいのか分からず、悲しい気持ちから離れることができませんでした。そんなとき、一人の看護師さんが、「あら、小川さん(母のこと)、ずいぶんスリムになって、うらやましいわ」と、明るく声かけしていたのを覚えています。(明るい表現の仕方って、いろいろとあるんだ!)
 事実は事実でしかありません。その事実を明るい視点から捉え直すことで、微かであっても希望が見えてきますし、元気になろうという意欲が湧いてきます。私は「食べたら元気になるよ」と母を励ましました。「そうかそうか」と言って、弱々しい手でさじをもち、お粥を口に運んでいた姿が、今も目に焼き付いています。残念ながら、母の命の灯火は最後には消えましたが、実際、担当医が「驚異的に命が延びている」と言っていたのを覚えています。身体的存在としてだけでなく、精神的存在としての人の姿を、母から教わったような気がします。

 このようなリフレーミングの例え話に加え、授業では、絵画や現代アートの作品なども紹介しています。見る視点を変えたり、見る枠組みを動かしたりすることで、物事は様々な見え方ができるということを、アートの世界でも体験できます。
 学生は、学業、部活動、アルバイト、将来の進路など、日々の生活において、厳しい出来事をいろいろと経験します。辛いときは、けっして無理をしないということが前提ですが、どうせ事態を避けることが難しいのであれば、ネガティブに評価するよりはポジティブに評価する方が、気持ちが少しは前向きになります。「大学の授業で課題がたくさん与えられる」、「部活動での人間関係に疲れる」、「就職活動のことを考えると心配で仕方ない」など、学生生活での出来事に対して、「どのような評価でもって向き合いますか」と問いかけながら、人生の荒波をどう乗り越えるかをみんなで考え、ポジティブな見方を授業の中で共有するようにしています。  
  

この状況をどのように評価しますか?

 さらに、リフレーミングの話を発展させましょう。私たちは時間軸の中で生きています。日常の出来事はすぐさま過去になり、また新たな出来事に出くわすことになります。その前後での状況変化がもたらす文脈や、行間にある背景をどう読むかによって、ポジティブがネガティブに、ネガティブがポジティブに、評価はころころと反転します。この問題を考えるにあたって、教材として、グリム童話「幸せハンス(Hans im Glück)」を紹介しています。物語のあらすじは、次の通りです。
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 主人公ハンスは、7年間という長年の奉公を終えて、その褒美に主人から大きな金塊をもらいます。その金塊をもって故郷の母のもとへ帰るのですが、通りすがりの腹黒い人たちに何度も騙され、価値の低い別の物へと、次々と交換されていきます。重い金の塊をもって歩くのは辛く、ハンスは馬に乗った男をうらやましく思います。狡猾なその男と話をしている内にうまく言いくるめられ、金塊と馬を交換してしまいます。馬に乗ったのはいいのですが、馬の扱いに苦労し、途中で落馬してしまいます。通りかかった牛飼いに、乳が出る牛の方が役立つと勧められ、馬と牛を交換します。ところが、牛は年老いて乳が出ず、次に出会った肉屋に、豚肉は美味しいと勧められ、牛と豚を交換します。そして、豚がガチョウに、ガチョウが砥石と石ころにと、その都度、価値の低い物へと交換されていきます。しかしハンスは、自分は騙されたとは思わず、交換する度に、良い取引ができたと満足しているのです。最後、井戸端で休んでいるとき、研ぎ屋から「金儲けができるぞ」と言われて交換した砥石と石ころを、誤って井戸の中に落としてしまいます。ところがハンスは、これで重荷がなくなり、身も心も軽くなったと思い、自分はなんて幸せな人間だと叫んで、喜びいっぱいで母のもとへ帰っていくというストーリーです。
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《参考》(文・絵)バーナデット・ワッツ、(訳)福本友美子 「しあわせなハンス」BL出版

 ああ、なんという虚しい話なのでしょうか。大きな金塊が最後には石ころになって、その石ころでさえ失ってしまうのです。私は、絵本を読み聞かせるように、この童話を学生に紹介していきます。騙されていることになぜ気づかないんだと、話を聞いている学生はイライラするようです。実はこの物語、文脈や行間をどう読むかによって、いろいろな評価を行うことができます。
 社会的に価値のあるものを失いたくないという観点から評価するならば、ハンスの行為はあまりにも愚かしいと解釈できます。「ハンスは、金塊をもって故郷に帰り、母に喜んでもらうはずではなかったのか。7年間の奉公は一体何だったのか。ハンスよ、目を覚ましてほしい!」と、思わず心の中で叫んでしまい、虚無感のような感情を経験してしまいます。
 一方、ハンスはその時々の自分の気持ちに正直なだけであって、問題なのは周囲の大人の利己的なずる賢さだとも言えます。とくに、最初の場面で、金塊と馬を交換した男の言動に、大人の醜さが象徴されています。ハンスに話しかけて、いろいろと事情を把握した上で、ハンスに交換をもちかけているのです。「取引の交渉なのだから、相手の足下を見て、隙あらば取れるものは取ろう。騙される方が悪い」といった、○○詐欺を彷彿させるような、正直者が損をするという昨今の風潮を象徴しているように思えます。
 一体、ハンスは何を私たちに問いかけているのでしょうか。私は次のような解釈を学生に説明しています。私たちは、生活している間にいろいろな物、財産、地位、関係性などを手にして生きています。苦労して手に入れた物は手放したくない、人間関係のしがらみに苦しむことはあるが関係性は失いたくない、手放したくない失いたくないからこそ、心配の種が尽きないのです。それがいつの間にか心の重荷になっているのではないでしょうか。すべてを手放したとき、はじめて生きていることの幸せを実感する、そのように考えると、ハンスは本当の意味で「幸せの本質」を理解しているのかもしれません。みなさんは、この物語をどのように評価しますか。 

幸せの本質をハンスは理解している!?

 授業の最後に、「幸せハンス」の物語を学んだ学生に、振り返りシートに意見を書いてもらいました。前述したような解釈を含め、様々な意見が見受けられましたが、ある学生が指摘した意見に、私はハッとさせられました。その意見とは、ハンスの年齢をどう考えるかという指摘です。物語の中では、ハンスの年齢に関する記述はありません。物語の内容から推測するに、今でいう中学生ぐらいの青年期にあるように思えます。7年間の奉公があったということですから、幼少期に親元を離れたということになります。ということは、親からの愛情が必要なとき、離れ離れで暮らしたということですから、ハンスにとって、母が恋しい、母の愛情に優しく包まれることを、何よりも望んでいたのではないかという解釈です。ハンスにとっての幸せとは、母の愛情に満たされること、それは金の塊よりも大切なことであり、そこにこの物語の本質があるというのが学生の解釈です。
 このように学生からの意見で、物語の理解が深まりましたし、授業内容をさらに発展できそうです。次年度は、次のような話を講義に加えようかと考えています。私たちは成長とともに、幸せを判断する基準も変化させています。幼少のときは親の愛情に包まれること、美味しいものを食べてよく遊んでよく寝ること、そして青年になれば、自分の能力が発揮できること、憧れの仕事に就くこと、成人になれば、素敵なパートナーに出会うこと、子どもの成長を見守ること、社会から評価されることなど、年を重ねるごとに置かれた立場も変わり、それに応じて、何が幸せなのかと判断する基準、すなわち評価の枠組み(フレーム)が変わっていきます。固定的な見方しかできないと、幸福(不幸)の感情も固定化され、もし今ある人生をネガティブに評価し、その感情に囚われているのならば、そこから脱却することが難しくなるかもしれません。人生の幸せをリフレーミングする、そのような思考の仕方を、ハンスは教えてくれているのではないでしょうか。

小川 和久 教授

出身は京都です。大阪大学人間科学部卒業後、同大学大学院人間科学研究科にて心理学を専攻。同大学人間科学部助手、広島国際大学人間環境学部准教授を経て、東北工業大学共通教育センター(現:総合教育センター)教授に着任しました。専門分野は、産業心理学、交通心理学を中心とした応用心理学です。本学では、「教育心理学」、「暮らしと心理学」、「産業社会と心理学」など、教職課程と教養課程の心理学系の授業を担当しています。安全で幸福な人間社会をつくることを目標に、事故分析、適性検査開発、安全教育を主な研究テーマにしています。感情コントロールの教育プログラム開発や児童生徒の学校安全などの研究活動・普及活動に努めています。

総合教育センター
同センターには、人文社会系、体育系、英語系、教職系の教員が所属しています。同センターの特徴は、全学的に学生の成長の様子を伺いながら、授業という学びの協働作業に関わることにあります。自分、他者、社会に対する理解を通して、幅広い視野をもって専門性の力を身に付けてほしいと願っています。普段は教職系の仕事が中心ですが、分野をまたいだセンター内での交流や、学科をまたいだ学生・教員間の交流もあり、日々楽しく過ごしています。

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