
今頃の若い者は…
VOL.080 河井 正(都市工学課程)
こんなタイトルだと反感を買うかもしれませんね。でも逆です。私自身は、今も昔も人間の本質は大して変わっていなくて、「今頃の若い者は…」と言っている方に「あれっ?」と思うことが多いです。これは決して若者に寄り添ったふりをしているわけではなく、本学に来て3年とちょっと学生と接していて感じたコト、安心したコトであります。
この原稿の後半で紹介させて頂きますが、自分はかなり偏った人間だと自覚しております。そんな人間が、自分のやりたいように研究室を運営したら、学生にそっぽを向かれて空中分解し、自分自身が不登校になるのではないか?と着任前は少し恐れていました。研究所で働いていた時から名古屋大学で非常勤講師を5年くらい務め、前任の大学で10年間働いていましたが、大学が変われば気質も変わることがあると思い、期待よりも不安の方が大きかったというのが正直なところです。
しかし、「話せばわかる!」という感じで、自然体で学生に接していても、少なくとも今のところは深刻なトラブルは発生していません(良い学生に恵まれただけかもしれませんが)。昔だと「つべこべ言わずに、言われた通りにしろ!」で通っていたのかもしれませんが、自分自身が若い頃からそのような年長者の態度は嫌いであったため、(いちいち説明しなければならない)面倒な時代になったという感覚よりも、(自分が当然だと思っていたことが)当たり前の時代になったという感覚です。昔も今も、「自分に必要だ」と自覚さえすれば人は動くものだと思います。昔から、「お前のためだ」と本気で思ってくれる人と単に雑用をやらせたいだけの人は半々くらいで存在して、後者が許されなくなったのは当然のような気がします。
配属された日から、毎月の様に、「卒業研修は学科のルールで〇〇時間以上だぞー」「〇〇時間研究室に居たというだけでは駄目で、内容がそれに相応しくなかったら認めないぞー」「卒業しない自由は君らにあるから、笑いながら卒業できなかったねと声をかけるぞー」と言っておけば、今の学生も、12月、1月になると強制されなくても遅くまで頑張っています。普段の言動から「こいつなら本当にやりかねん!」と言う教員の雰囲気を察しているのだとも思いますが。人間だれしも甘えはあって、ついつい先送りにしがちですが、それでも最後に締め切りを守らせる経験、その際に内容が認められるまで何度でも出し直さなければならない経験が、社会人になるために必要と思っています。それは研究の内容以上に卒論の大事な役割だと考えています。
そんな河井ですが、唯一「今頃の若い者は…」と言いたくなることがあります。それは生意気に見えるやんちゃな若者に対してではなくて、素直な良い子に見える若者達に対してです。
「何をしたとしても人生は一度しかなくて、自分の人生を楽しくするのは自分自身以外には無理だよ!」と言いたくなるような若者は増えた気がします。世の中の常識にしばられてどこか諦めたように過ごしている若者には、「何かに一所懸命に取り組む」という楽しさを知って欲しいなと思います。それは、飲み会のような一過性の楽しさではなく、ゲームのような受け身の楽しさではなく、小さなことを達成する満足感と上手くなりたいという向上心が自然に芽生え、人生を楽しくするための必須の楽しさだと思っています。「こんな時代だから仕方がない」と縮こまっていてもやり過ごせない厳しい時代がくる可能性は大きいのだから、まだ少し余裕のある今の内に「生きてれば楽しいことは自分で探せる」と前向きになれる経験をしておくことが、安定した(しているように見える)職を探すよりも、よほど将来に向けて必要なことだと思います。
ところで、河井は「年齢を言い訳に何かをするのを止める」ということが出来ません。やりたいと思ったら、まずは始めてみます。33歳の時、とある切っ掛けから始めた自転車競技は、趣味の域を超えて、生活の中心になるほどのめり込みました。プロを目指しているわけではないのですが、それに近いほど練習や遠征をしていました。最初は筑波サーキットでの5人交替での8時間耐久レースから始まり、数年後は実業団登録をして日本全国のレースに参加するほどとなり、そのために毎月1500kmほど自転車に乗っていました。体力のピークを超えて下り坂になっている時に、これほどのめり込んでスポーツに取り組んだ自分にビックリしましたが、おかげで体力と耐力を合わせたピークは40代前半くらいで、一時若返った気分でした。
仕事のために朝起きるのはつらいですが、自転車のためにはAM4:00起床でも平気です。下は中学生から上は還暦まで、チームメートと厳しい練習をこなし、レースに参加する際は大部屋でざこ寝というのは、貴重な経験でした。その時の中学生が、今はプロ選手で、先日開催されたツアーオブジャパンでスプリント賞を獲得してました。たまたま自転車を購入したお店が、その後アマチュア日本一を争うようなチームになり、今は弱虫ペダルサイクリングチームのGMを務めるオーナーのお店だったというだけなのですが。
私にはミーハーなところがあるので、プロ選手やオリンピック選手(アテネ、東京)と知り合いになれたこと、「富士スピードウェイで(自転車レースで)片山右京氏に勝って彼のブログに名前が載った」と飲み屋ネタが出来たこと、弱虫ペダルの作者と一緒に練習していたことなども、やる気に繋がったと思います。モチベーションが一番大事で、それが出るなら理由は何でも良いと思います。
自転車に乗っていた頃は、仕事の方のやる気はイマイチでしたが、「なんか面白そう」というだけで、縁あって国際原子力機関(IAEA)の指針作りに参加してみました。英語は得意ではありませんが、アメリカ、フランス、スウェーデン、インド、ハンガリーなどなど、色々な国の人たちと真面目に議論し、酒を酌み交わすのは良い経験でした(飲み会の席での英語は1~2割くらいしかわかりませんが)。自転車にのめり込んで人生に対して積極的な気持ちが芽生えてなかったら、この仕事は「面倒くさい」と感じてやらなかったと思います。
自転車選手(?)を引退した今は、釣りやテニスを趣味にしています。釣りに行くと、釣れなくてもトップ画像のような綺麗な風景に癒されます。自転車競技ほどにはのめり込んでいないため、仕事にもやる気は向かっていますよ!
ともあれ、今の若者には、「やりたいことがあったら、出来ない言い訳を考えるよりも、自分の気持ちに従ってやってみたら?人生は一度しかないよ」と言ってあげたいですね、背中を見せながら。

河井 正 教授
千葉県出身で大学は関西方面に行き、戻って約20年間千葉にある研究所に勤務していたので、東北とは縁が無く、13年前から仙台に住むようになったのが初めての東北暮らしでした。その時まで、仙台~東京と仙台~青森が同じくらいの距離とは知りませんでした。電力関係の研究所に勤務していたため、専門は主に原子力発電所の耐震(地盤)であり、その縁で、電力会社の相談を受けたり、国際原子力機関(IAEA)や原子力規制庁と仕事をしたりしています。

地震地盤工学研究室
地盤工学は華が無いので研究室選択の際に不人気ですが、来た学生に損はさせたくないと思っています。基本的には放任主義ですが「社会人になるために身に着けておくべきこと」は指導しておきたいと考えて運営しています。昨年度から自身が取りまとめ役として原子力規制庁補助金を獲得し、名古屋大学、東北大学、宇都宮大学と合同で、講習会、自然災害の被災地や原子力発電所の視察、実験や数値解析に関するディスカッションなどを行っています。