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※教員の所属・役職及び学生の学部・学科・学年は取材当時のものです。

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塩と胡椒

VOL.070 阿部 寛史(産業デザイン学科)

デザイン分野の中で「タイプフェイスデザイン」を専門にしています。
私は本学で教鞭を取らせていただいていますが、本学の卒業生でもあります。学生時代にはデザインを学ぶ中で書体や文字のデザインがあることを知りました。「ひらがな」を自由自在にデザインできるデザイナーになりたいという思いから、書体や文字デザインの基本について学び、その後実務では10年ほど文字やデザインと向き合ってきました。

学生は書体デザインと聞くと「当たり前にあるもの」「自動生成されてるんでしょ?」と言ったことをよく聞くのですが、それを作り上げるのがどれだけ途方もなく泥臭いかは殆どの人が知っていません。かく言う私もそれについて知ったのは学生も後半に差し掛かった頃で、当時は「書体の違い」も認識できなかったのを覚えています。別の種類の明朝体の違いが全然わかりませんでしたし、当時は烏滸がましくも「こんなにたくさんの書体って必要なの?」とも思っていました。恥ずかしい。
ですが知れば知るほど微細なニュアンスの違いに気づくようになり、今では誰が作ったのかまでなんとなく分かるようになって来てしまいました。作者が何にこだわりを持ち、何を考えそれを作り出したのか「人柄」という様なものが文字には現れてくるような気さえします。と言ってもこれは殆ど見落としてしまう様な曲線のニュアンス、角度、線の強弱など微細な違いから感じることなのです。

私は出来るのであれば目指す文字の佇まいとしてより素直なものを作りたいと思っていて、私自身の人柄を表現したいとは思っておらず作り出したものもそうありたいなと思うのです。
ですがこれが中々に難儀な話でいくらそう言ったものを作ろうと思っても出来ないジレンマの様なものがあります。見る人が見るとやはり誰が作ったのかバレてしまうんです。不思議なものでこれは文字のデザインに限った話ではなく、音楽や文章などにもあると思っています。先日曲を聴いていたら「このメロディーラインはあのアーティストの雰囲気があるな」と思って作曲者の欄を見るとズバリ!なんてこともありました。

よくメディアや学生の口からは「個性」と言うワードを聞くことが多いですが、意思を持って個性を表現することは果たして「個性」なのでしょうか?自らの意思は環境や時代などさまざまな要因で変遷してしまいます。ましてや情報が絶え間なく更新されている今の世の中では価値観の変わるスピードはいったいどれ程になるでしょう?意思を持って個性を表現できるとしたら「個性」はどこかに置いてけぼりにされそうです。今この瞬間と先の未来の「個性」が違うのだとしたらそれは本当に自らの「個性」と言えるのでしょうか?
もしかしたら意思を持った自己表現とは違うベクトルに「個性」と言うものは存在しているのではないでしょうか?追い求めるほど離れていくようなそんな矛盾したものなのかもしれません。
不純物を極限まで取り除き、精度を高め、適材適所での佇まいを追求した先に「個性」と言うどうしても拭い去れない様なものが表層化してくるのかなと思うのです。

©︎ABE Hirofumi

と散々「個性」について書いた後になんですが、私はここで言う「不純物」もすごく大切なものだと思っていて、それが人間味であったり感性に訴えかけるものの一部ではないかと思っています。「塩」は確かに料理に使うと美味しいけれど、たまには「胡椒」も欲しい。暑い日にはピリッと辛い「唐辛子」が欲しい。様々なスパイスとの調和で美味しさを感じていきたいと思うのです。それが豊かさでありデザインを考える上で大切な考え方の一つなのかなと感じています。こんな思いが少しでも伝われば幸いです。

阿部 寛史 講師

専門分野はタイプフェイスデザインです。
タイプフェイスを通した言葉のあり方やグラフィック表現について取り組んでいます。

阿部研究室

視覚伝達デザインにおける「文字」とその周辺のデザインを中心に学んでいます。「文字」の構造やアーカイブを踏まえた上で、実際に手で文字を書く行為や文字自体を作っていく体験を通して、自身の言葉や想いをカタチとして伝えるプロセスを実践し、アナログ・デジタル技術を用いた「少し先の未来」を見据えた温故知新のデザイン表現を追求しています。

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