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※教員の所属・役職及び学生の学部・学科・学年は取材当時のものです。

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教員、教職って何だろう

VOL.061 加藤 順一(総合教育センター)

 総合教育センターの加藤順一です。昨年(2022年)の春から教職科目を担当しています。もともとは宮城県の公立高校の教員で、定年で退職するまで38年間勤務してきました。2018年春に定年退職すると同時に縁あって本学にお世話になることになり、4年間は学修支援の仕事をしていましたが、この1年は教員養成に関わっています。

 添えている写真は私が退職時に校長をしていた宮城県仙台第一高等学校の桜です。仙台一高の校地を囲む桜は「杜の都・仙台 わがまち緑の名所100選」にも選ばれているものです。その季節に校庭を囲む土手を歩くと、春の訪れとともに新入生を迎える新しい年度の始まりを強く感じます。桜の開花と入学式がうまく重なる年もあればずれる年もあるわけですが、新しい出発を祝うものとして学校には桜が似合うとつくづく思います。桜の頃には近隣の方が土手をそぞろ歩いたり、幼稚園や保育園の園児が訪れたりということもあります。そうした風景の中で今年はどんな一年になるのかなどと校長として考えていました。
 私は仙台一高の校長として6年間勤務しました。仙台一高は創立から130年余の歴史を持つ学校で伝統校といわれる学校ですが、校長としてはほとんど伝統といったことを話してこなかったように思います。生徒に伝えていたのはむしろ伝統といわれるものを疑い、問い直す姿勢の重要性といったことでした。最も忌むべきことは「伝統だから」と思考停止してしまうことというのが校長としての基本的な立ち位置だったように思います。

 校長時代のことを書きましたが、昨春から教職課程の指導に関わる中で、改めて教員、教職って何だろうということを考えています。長く教育の現場にいて教育行政の仕事などもしましたが、結局これといった結論は出せていないというのが正直なところです。私自身は「人」という存在に興味がある、「人」の不可解さ、因果をすっきり説明できない部分などに関心があって教師という職を選んだのですが、40年たってもやはり「人」は興味深いが難しいというところにとどまってしまっています。
そんな私が今年教職課程で学ぶ学生に講義で話した教員に求めたい資質の一部をここで紹介したいと思います。

・「人間という存在に対する興味・関心」
 人づきあいがいいとかコミュニケーション力があるということではなく、人間という複雑で多様でつかみどころのない存在について興味関心を持っていること、その不思議さ、計り知れなさを理解しようとする姿勢が教育に携わるものには必要だと考えます。

・「過去や歴史に関する認識」
 人は過去から学ぶしかありません。目の前にいる生徒たちは未来に向かって生きていくわけですが、そうした生徒たちに過去の出来事、そこから学ぶべきことを伝える力を持つことが教員には求められます。自分たちが今生きている社会がどのような歴史の上に成り立っているのかを考え、知っていることが、生徒に何を今伝えるべきかという意識につながるのだと思います。今という時間は過去というものとのつながりがあって存在するのであり、教育に当たるものはそのことを忘れていけないと思います。

・「未来を創ることへの思い 人を育てるとは未来を創ること」
 教員は教育を通して未来を創っています。目の前の生徒に向き合い、生徒を育てるという営みを通じて、未来の社会を創っているのです。人あっての未来であって、未来に生きる人を育てることで次の時代に関わっているという意識を教員は強く持たなければなりません。このことが教員の社会に対する責任を果たすことだと思います。そこには当然未来の社会、世の中はこのようであってほしいという思いが必要です。将来の社会はこのようであってほしい、こうした人が多い社会であってほしいという思いが日々の教育を支えるのだと思います。

・「自分はものを知らないという自覚、謙虚さ(「知らざるを知らずと為す、 これ 知るなり」)」
 「知らざるを知らずと為す、 これ 知るなり」というのは論語の為政篇にある言葉です。知らないことは知らないと自覚すること、これが本当の知るということだといった意味です。教員にはこのような謙虚さが必要です。

・「児童生徒に対する敬意(「後生畏るべし」)」
 日々向きあう相手を人として尊重することは教員にとってとても大切なことです。「後世畏るべし」というのも論語に見える言葉です。後進のものは努力次第で将来どんな大人物になるかわからないから畏れるべきだといった意味です。目の前の若者は様々な可能性を秘めています。その可能性に対して謙虚に向き合い、対応することが教員には求められると考えます。

 現在の教育を取り巻く環境は厳しいものがあります。高大接続の問題を見ても入試を変えることで高校教育を変えようとしていますが、入試に出るからということで学ばせようとする姿勢は入試に出ないものは学ばなくてもよいと言っているのと同じことなのだと思います。少子化の問題にしてもこの社会に生きる多くの人が「生きることは面白い、こんな社会で生きることを次の世代にも経験させたい」と思うような社会になっていかなければ問題は解決しないでしょう。自分が生きづらさを感じている中で次の世代を生み育てようとはなかなかならないと思います。金銭的な対応にとどまらない、社会、世の中全体のものの見方、考え方の転換が必要だと感じています。
 教育は未来を創ること、それだけに教育、教員の役割は重いと思うのですが、ではどうすればいいのか、私には容易に答えの出せない問題です。

加藤 順一 教授

宮城県の公立学校教員として38年間勤務。担当教科は国語。その間校長として加美農高に2年、仙台一高に6年、教育行政に6年携わる。2018年より本学学修支援センターに勤務、2022年より総合教育センターにて教職課程を担当する。

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