東北工業大学

リレーエッセイ つなぐ 教員から教員へ リレーエッセイ つなぐ 教員から教員へ

※教員の所属・役職及び学生の学部・学科・学年は取材当時のものです。

HOME > リレーエッセイ > 土木工学科で学んで感じたこと

土木工学科で学んで感じたこと

VOL.056-2 菅原 景一(都市マネジメント学科)

 さて、私が土木工学を志した理由について”工大広報303号”のCOLUMNに『私と土木工学』で紹介させていただいて、実際学んでどうなのかということはまたの機会にとしたまま1年が過ぎてしまいましたので、そろそろ当時感じたことを河川管理の在り方の変遷と交えて紹介しようと思います。

 河川と文明は密に関係しており、4大文明は皆大きな河川の傍らで発展しています。エジプト文明はナイル川、メソポタミア文明はティグリス川・ユーフラテス川、インダス文明はインダス川、黄河文明は黄河、といった感じですよね。この時代には川の流れを改変する技術はまだなく、氾濫してもその被害が及ばない地域に居住して、上流から運ばれる肥沃な土壌で農耕を行っていたということは既にご存知だと思います。ただ、この時代にエジプト文明では、ナイロメーターと呼ばれる観測施設で川の水位の年変動を観測して洪水が来る時期を理解して生活していたといわれています。

ナイロメーターのイメージ

 日本では、弥生時代に川の水を引いて稲作をはじめたのが河川との文化的な関わりの始まりでしょうか?その後、都市の発展とともに河川の水を利用する”利水”、洪水の氾濫を防ぐ”治水”という意味で川をコントロールする必要が出てきて、戦国時代には武田信玄が行った霞堤や万力林、加藤清正が行った越流堤や水越塘、江戸時代には「関東流」と呼ばれる伊奈家の治水法が提唱されるなど自然をよく観察して、自然の法則に抗わず、洪水の力を受け流すような治水技術が発展しました。
 明治になってからは、西欧の近代的な技術と施工機械を導入し、高水工事(洪水流を川から溢れさせないようにする工事)へと治水工事の主流が変化していきます。1896年に公布された河川法(旧河川法)では、治水中心の高水工事と連続堤方式(河川の堤防を河口まで連続的に整備すること)が明言されました。その後、発電や工業用水の需要の高まりに対応するため、1964年に利水にも言及する内容に河川法が改正されます(新河川法)。 その次の河川法の改正は1997年、従来の治水、利水に加えて河川環境の整備と保全という項目が盛り込まれました。

 大分、前置きが長くなりましたが、私が大学に入学するのがその1年前の1996年です。不思議なめぐりあわせですね。1990年代というのは、まさに環境の時代で、1992年にブラジルのリオデジャネイロで国連環境開発会議が開催され、持続可能な開発と地球環境の保全に関して27原則からなるリオ宣言が合意され、入学の1年後の1997年には京都議定書(6種類の温室効果ガスについて、先進国の排出削減について法的拘束力のある数値目標などを定めた文書)が採択されるなど世界的に環境に関する関心が高まっている時代でした。高校生だった私は渓流釣りで川を遡ると必ずと言っていいほど突き当たる砂防堰堤を前に”ダムはムダ”とか”ダムによらない治水”という言葉が頭をよぎり、土木を志したというところまでは工大広報303号に書いた通りです。
 実際に入学して最初に感じたことは、メディアの情報というのは偏っていることがあるということ。その時代の向きにあった面の情報が強く報道されがちなので、報道される情報ばかりを鵜呑みにすると中立な判断をしそこなうことがあるんですね。当時の大学の講義では、現存する構造物の必要性と可能な限り環境へも配慮して社会資本の整備が既に行われ始めていることを理解しました。そして最も重要なことは、土木工学は社会基盤を整備する学問である以上、そこに生活する人々の安全を最大限守る必要があるということです。この人々の生活と環境の保護・保全を両立させなければならないというところが土木工学の難しさであり、面白さなんだということを大学院の博士(前期)課程までの6年間学んで実感しました。
 河川の分野では、1997年に河川法が改正されて、従来の治水、利水に加えて河川環境の整備と保全という項目が盛り込まれたことは前述の通りです。国土交通省は1990年に河川が本来有している生物の良好な生育環境に配慮し、あわせて美しい自然景観を保全あるは創出する事業として「多自然型川づくり事業」を2006年からは、”型”を外して本質的に多自然を実現する「多自然川づくり事業」を推進しました。具体的には、自然石や空隙のあるコンクリートブロックを用いた低水護岸工法の工夫など小規模な事例から始まって、瀬や淵、河畔林など河川空間を構成する要素への配慮、河川全体を視野に入れた計画づくりへとより広い視点からの取り組みへ発展(参考:リバーフロント研究所報告第18号P59)し、河川法の改正でも明記された通り、これまで行われてきた治水、利水中心の河川整備から治水、利水、環境の3要素を調和させる川づくりが求められるようになっていました。
 このように、大学で土木を学ぶにつれて”工大広報303号”のCOLUMNで書いたような土木に対する印象とは逆に、環境を保全していくには土木が必要であり、自分がやりたい学びはここにあるという確信に変わっていきました。

 せっかくなので、現在の河川管理と私の思いを書いてまとめにしようと思います。
 想定を超える降水、洪水が頻発する今日の河川管理はというと、やはりこれだけ洪水が頻発してしまうと”環境の整備と保全”よりも”洪水に対する安全性の確保”が優先されている状況です。被災状況調査報告を見聞きすると、河道の樹木に枯草などが引っかかり洪水の疎通を妨げている可能性があるなどの表現が散見され、溢れさせない洪水管理を目指すならば伐採せざるを得ないのかもしれないとも思いつつ・・・。しかし、流れの中での樹木の挙動や抵抗については未解明な部分が多いのです。また、近年の豪雨はあまりにも大きく想定を超えてしまうので、対策の根本から見直しが始まっています。それが”流域治水”です。国土交通省が現在推し進めている事業ですが、これまでのように洪水流を河川空間の中だけに押しとどめて海まで流すのではなく、遊水地のように適切な場所に適切に洪水流を溢れさせることで流域全体で洪水の威力を受け止めようという考え方です。既にいろいろなところで書かれていることではありますが、この考え方は新しいものではなく、先述の霞堤や越流堤の思想に立ちかえっただけなんですよね。
 結局、歴史は繰り返すんですね。大きな視点で見ると強力な建設機械がない戦国時代、江戸時代に自然をよく観察して取り組んだ自然の力を受け流す治水から、コンクリートと強力な建設機械による自然の力を抑え込もうとする治水、そしてまた受け流す治水へ。環境重視なのか治水重視なのかも時代によって揺れ動き続ける。いずれにしても近代科学技術に頼りすぎるのではなく、自然をよく観察してそこに科学技術を織り込むことが今後ますます大切になっていくのではないでしょうか。

 最後に、現在取り組んでいる流水中の樹木の抵抗評価に関する実験を紹介します。
可撓性のある(撓みやすい)材料を用いて3Dプリンターで作製した樹木模型を実験水路に設置して、PIVで可視化した状況です。このようにして流水中で樹木がどのように変形して、抵抗がどのように変化するのかを調べています。

菅原 景一 准教授

専門は河川工学です。博士(前期)課程修了後、青年海外協力隊の理数科教師としてタンザニア連合共和国の中等学校(日本の中学、高校に相当)で2年間教員をしました。
帰国後、博士(後期)課程で学び、企業に就職、その後工業高校の教員を経て縁あって現在の職にあります。

菅原研究室

研究室のモットーは結果を出すことよりもそこに至る過程を大切にすること、研究室の活動を通して自分の成長を実感することです。
研究は、自然に抗わない河川管理を目指して、近世の河川管理技術に着目した研究・教育に取り組んでいます。研究の手法に捉われることなく、模型実験や数値解析、現地調査、更には文献調査まで何でもやります。また、UAVや3Dプリンターなどの新しい技術の活用にも積極的に取り組んでいます。

一覧に戻る