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大学での学びとは

VOL.056 菅原 景一(都市マネジメント学科)

 本学に着任して、リレーエッセイなる取り組みをされていることを知り、いつの日か書いてみたいものだと思っておりましたが、なかなかお鉢が回って来ず・・・。(まあ、そんなこと言っていないで自分で手を挙げればよいということも知りつつ、日々が過ぎておりました。)
 そのお鉢がついに回ってきたんです。が、いざ書こうとするといろいろな考えが浮かんでは過ぎてゆくもので、難しいものですね。普通は自分の研究と絡めた内容で書くものか、趣味で書いても良いものか、他の先生方の記事を読んでみるもののなかなか纏まらないままに提出期限の8月になってしまいました。これぞパーキンソンの第一法則『仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する』。解釈は色々あるのでしょうが、いずれにしても時間いっぱいまで完成にこぎつけないということですね。いろいろ思うところはありますが、この話題について書きはじめるとこれで一つのエッセイになりそうなので今回はやめておきます。
 さて、本題に戻りますが、まずはということで自分の研究は置いておいて『大学での学び』について個人的に思うことを書いてみようと思います。

 私は、本学の土木工学科を卒業後、大学院(博士(前期)課程)に進みました。前期課程修了後に青年海外協力隊の理数科教師としてタンザニア連合共和国の中等学校(日本の中学、高校に相当)で2年間教員をしました。帰国後、博士(後期)課程で学び、企業に就職、その後工業高校の教員を経て現在に至ります。そんな経験もあるので大学で学ぶということがどんなことなのかもう一度考えてみようと思った次第です。一応断っておきますが、法律的にどうこうという話ではありません。あくまでも私が個人的に考えていることです。

 小学校、中学校は義務教育で、私が中学生の頃に先生から聞いたのは日本国民として生きていくために必要な最低限のコトを教えているということ。では、高校というのは何を学ぶところなのでしょう?これは結構難しい問題だと思いますが、普通高校、工業高校、商業高校、農業高校など校種によって学ぶ内容が大きく異なっており、実業高校では専門科目として大学で教えるような科目の基礎的な内容を学んだりもします。ということは、実業高校の学びは大学の学びに近いのか、ということになります。

 さて皆さんはどう感じますか?確かに学ぶ内容には一部近いものがあるのですが、高校までの学びと大学の学びには根本的な違いが2つあると私は考えています。
 一つは、高校までの学習では与えられた問題を解くこと、解けるようになることが最大の目的であることに対して、大学の4年間の教育を修了すると、与えられた問題が解けることはもちろんですが、その根底にある原理を理解していること、あるいは答えのない問題に対して何らかの答えを導くことができるようになったり、新たな問題を見つけられるようになる点です。
 特に答えのない問題に向き合うのは大学で学ぶ醍醐味の一つではないでしょうか?

 例えば、私が専門にしている水工学の分野の問題で例を示すと以下のようになります。
 ある地域に1000年に一度の確率で発生する規模の洪水に耐える堤防を耐用年数100年のコンクリートで建設する計画が持ち上がっています。この計画には賛否両論あり、賛成派は1000年に一度の洪水ならば、人生が100年だとしても10世代に1度程度しか溢れないのだから大丈夫と話している。一方、反対派は耐用年数が100年であるならば1000年に一度の洪水に耐えるとは言ってもその間に10回作り直す必要があるのだから、100年に一度程度の洪水に耐える堤防で良いのではないかと話している。
 皆さんならばどちらの堤防を建設することを勧めますか? そしてその根拠はどのように説明しますか?
という問題です。

 もちろんこの問題には正解がありません。適切な根拠に基づいてどちらの堤防を勧めるかが述べられていればどちらの堤防を勧めたとしても正解になります。もう一歩進めて、現実の問題として考えると賛成派/反対派それぞれがいる場合にどのようにして合意をとりつけるのか?まで考えるとさらに難しい問題になりますよね。
このような問題にある根拠を用いて解決策を提案できるようになる。
これが大学での教育を受けた結果の一つだと私は考えます。

 もう一つは、自分で勉強ができるようになるということです。
何を言っているのだ?勉強は自分でするものでしょ?と思いますよね。
ここでいうところの勉強とはその勉強とはちょっと違っていて・・・と言ってもどう伝えるのが良いのか。高校までの勉強は、基本的には教科書に書かれていることが全てということだったと思うんですが、大学の学びには上限がないのです。どちらかというとスタートであってゴールではない。と言った方が良いのか。大学の講義の中で習うことはその先に広がっている学問の入口でしかなく、その先は自分で本を読んで勉強しなければならないし、やろうと思えばいくらでもできるようになるのが大学の教育なんだと思います。世の中には大学の講義でも扱わないような難しいことを難しく書いた本が沢山あるんですが、このような本を自力で読んでさらに学びを深めることができる力を身につけていることこそ大学で学んだ証ではないでしょうか?

 水工学の分野で言えば、ある流れ場に渦があるのかないのか、その渦の総量はどのくらいになるのかという計算は講義の中でも扱います(ベクトル解析と呼ばれる数学の一つの分野を学習すると簡単に解けるのです)が、ナビエストークス方程式はというとそもそも数学的に厳密に解けるのはごく限られた条件の場合のみなんです。じゃあそれ以外の時は答えが出ないのかというとそうでもなく、いろいろなアプローチの仕方があるのです。ただ、そのアプローチまでは大学の講義でも扱わないことが多いのです。しかし、このアプローチの仕方を学ぶための下準備はできているので、そこが必要になったら何を勉強すればよいのかはわかっているし自力で学ぶことができる(はずなんですが・・・)。
そういう意味で、大学を卒業すると自分で勉強ができるようになるということです。
かくいう自分はどうなんだと聞かれると・・・もっと勉強しておけばよかったなと日々反省しているところです・・・。

と、個人的な思いを徒然なるままに書いてきて、ふと大事なことを思い出しました。
 ご覧になった方もいるかもしれませんが、”工大広報303号”のCOLUMNに『私と土木工学』というタイトルでどうして土木工学を学ぼうと思ったのかということを紹介し、実際に学んでみてどう感じたのかということは紙面の都合でまたの機会に、としていたのでした。このエッセイはこの続きを書くのに最適なところでしたね。とはいうものの既に大分標準の文字数をオーバーして書いてしまったので、このことについてはまたの機会に。

菅原 景一 准教授

専門は河川工学です。博士(前期)課程修了後、青年海外協力隊の理数科教師としてタンザニア連合共和国の中等学校(日本の中学、高校に相当)で2年間教員をしました。
帰国後、博士(後期)課程で学び、企業に就職、その後工業高校の教員を経て縁あって現在の職にあります。

菅原研究室

研究室のモットーは結果を出すことよりもそこに至る過程を大切にすること、研究室の活動を通して自分の成長を実感することです。
研究は、自然に抗わない河川管理を目指して、近世の河川管理技術に着目した研究・教育に取り組んでいます。研究の手法に捉われることなく、模型実験や数値解析、現地調査、更には文献調査まで何でもやります。また、UAVや3Dプリンターなどの新しい技術の活用にも積極的に取り組んでいます。

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