東北工業大学

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※教員の所属・役職及び学生の学部・学科・学年は取材当時のものです。

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人生はシネマティック!

VOL.044 大木 葉子(総合教育センター)

今年度、総合教育センターに着任した大木葉子と申します。どうぞよろしくお願いいたします。さて、リレーエッセイということで何について書こうかと悩んだのですが、私の好きなことの一つである、映画についてお話させていただきたいと思います。

趣味といえるほどの趣味もない私ですが、思い返せば小さい頃から映画を観ることが好きでした。映画館が近くにないような田舎で育った私ですが、映画を好きになったきっかけは古い洋画が好きだった母の影響であったと思います。母のそばで物心つく頃からテレビで放映される映画を見ていた私は、知らず知らずのうちにいわゆる往年の名画と呼ばれるものに親しむようになり、ビビアンリー、オードリーヘップバーン、イングリッドバーグマンといった美しく、しなやかな女優たちに憧れを持つようになりました。もちろん、私の子どもの頃ですら、そうした映画は「往年の」と呼ばれるものであり、今思えばだいぶ渋い子どもだったなぁと思います(小学生から中学生にかけての理想のタイプがハンフリーボガードだった点からも、いかに私が渋めの少女だったかがお分かりいただけるかと思います)。

その後、大学進学のために仙台で暮らすようになって映画との付き合いが深くなっていきました。今から30年ほど前の仙台は、街に今よりも多くの映画館があったように記憶しています。駅前には新作映画がかかる映画館が2、3館あり、またアーケード街には名画座のような個性的な劇場もいくつかありました。そこへ大学の授業の合間に足しげく通ったものです。その後は、仙台を離れた時期もあり、またなかなか映画を観ることもできないような時期もありました。一番映画を観ることが難しかったのが、子どもが赤ちゃんだった頃です。子どもがまだ1歳にもならない頃、慣れない子育てに奮闘するなかで、どうしても見たい映画があった私は一計を案じ、何日も前から子どもの生活リズムを映画の上映時間に合わせてお昼寝するように習慣づけ、映画館が一番空いていそうな日時をリサーチし、大きなシネコンの一番後ろの席を入手し、子ども用のお菓子と飲み物をカバンに詰めこみと、壮大なプロジェクトのもとに無事にお目当ての映画をみたものでした。(ただし、上映開始30分後には子どもがぐずりだしたので、一番後ろの通路で最後まで立ってあやしながらの鑑賞ではあったのですが…。あの日、劇場の後ろの方に誰も座っていなかったことは、きっと天のはからいだったのでしょう)。
「カイロの紫のバラ」(1985、米)という映画をご存じでしょうか。映画を観ることだけを唯一の楽しみにしている生活に疲れきった主婦がある日スクリーンのヒーローから話しかけられ…というあの映画ほどには希望を失う状況になったことは幸いありませんでしたが、うれしいときもつらいときも、そして孤独なときもいつでも映画は私のそばにいてくれました。(もちろん、映画の中のスターが「この映画が好きなんだね?」とスクリーンの中から飛び出して手を取ってくれたことはないのですが…)。

こうして映画を観ることを楽しみにしてきた私ですが、専門的に観ている訳でもなく、あくまでも映画はひと時の娯楽に過ぎないとこれまでは思ってきました。しかし最近、映画の登場人物たちが私の手を直接取ってくれることはないけれど、彼らから人生の大切な指針をたくさん受け取っていたことに気づきました。

昨今の新型コロナウイルスの流行は、思いもかけない影響を私たちの生活にもたらし、想像を絶するような忍耐の日々が続きました。そうした中で大学の授業も大きな変革が求められました。ICT機器に弱い私にとって、着任早々の不慣れな状況の中でのオンライン授業は、本当に途方に暮れることばかりでした。授業プランをどうするか、どうすれば少しでもわかりやすく、有意義な講義を届けることができるのか、どのようなプレゼンテーションが最善なのか…、今学生が何を必要としていて、何を伝えるべきなのか…。毎日暗闇の中で手探りで自分の講義と向き合う日々が続きました。未曽有の事態の中で弱気になり、正直心が折れそうになったことも幾度もありました。そうした私に前に進む力をくれたのがこれまで見てきた映画の言葉でした。

「“やってみる”のではなく、やるのだ!(Do… or do not. There is no try.)」
(「スターウォーズ 帝国の逆襲」1980、米)
「行け!バカ者よ(Run! You foolish!)」 (「ロードオブザリング 旅の仲間」2001、米)
「ネバーギブアップ!ネバーサレンダー!(Never give up! Never surrender!)」
(「ギャラクシークエスト」)1999、米)

ネバーギブアップ!ネバーサレンダー!

途中で自分の能力の足りなさにくじけそうなときは、「きっと、うまくいく(All is well)」(「きっと、うまくいく」2009、印)と唱え、「価値のある映画(授業)を作りたい。観客が自分の人生の1時間半を費やせるほどの」(「人生はシネマティック!」2016、英)と自らを励まし、どうにか前期を終えることができました。もちろん、「人生はお前が見てきた映画とは違う。もっと困難なものだ(Life’s not like you saw it in the movies. Life…is harder.)」(「ニューシネマパラダイス」1989、伊)ということはよくわかっているつもりなのですが、それでも困難に立ち向かう映画の中の者たちの言葉が、明日へと向かう勇気と指針をくれました。

今回の新型コロナウイルスによって、映画業界も多大な影響を受けていると聞きます。私も微力ながら応援しているところですが、先日仙台の隣の町にある「MOVIX利府」が閉館するという残念なお知らせが届きました。「MOVIX利府」は往年の名画を上映するプログラムを定期的に実施してくれていたので、それを楽しみにしてきた私にとっては本当に残念でなりません。しかし今回の騒動が終わったならば、必ずやまた「I’ll be back!!」(「ターミネーター」1984、米)と帰ってきてくれることを心の底から祈っています。

まだまだ先の見えない日々が続いていますが、彼らがくれる言葉を胸に頑張っていかなくては!と思っています。

――心に深く残る物語の中に入り込んだ気がします。悪いことばかり起こった世界が元に戻ります?でもこの暗闇もいつかは消え去っていくでしょう。暗黒の日々にも終わりが…。新しい日が来ます。そして太陽がより明るく輝く。そういうのが心に残る意味の深い物語です。子どもの時はわからなくても、なぜ心に残ったのか今はよくわかります。物語の主人公たちは決して道を引き返さなかった。何かを信じて…歩み続けたんです。――
(「ロードオブザリング 二つの塔」2002、米)

――人間の未来はすべて白紙だっていう事さ!未来は自分で作るのだ。君らもいい未来を作りたまえ。――       (「バック・トウ・ザ・フューチャー partⅢ」1990、米)

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大木 葉子 准教授

学位:博士(文学)
研究分野:日本近代文学、日本児童文学、児童文学史

日本近代文学の中の児童文学について研究しています。中でも大正期から昭和初期にかけての子どもの読みものが主たる研究領域です。童話童謡から、子ども雑誌を含むメディア研究まで幅広く考察しています。

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