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※教員の所属・役職及び学生の学部・学科・学年は取材当時のものです。

幸福を考える

VOL.041 金井 辰郎(経営コミュニケーション学科)

経営コミュニケーション学科の金井と申します。専門分野は経済学です。数年前から、同じ学科の宮曽根先生(コミュニケーション学)、二瀬先生(心理学)と一緒に幸福研究をさせていただいています。このたびは学内にWell-Being研究所という組織も作っていただきました。

経済学では昨今<幸福の経済学>という分野が注目を集めています。手法はかなり単純で、アンケートで幸福度をたずねるのと同時にさまざまな質問をし、統計的に幸福度と相関の高い項目を探すことで幸福の原因を調べるものです。幸福度はコミュニケーション学や心理学においても重要な概念ですので、2先生から両分野の先行研究や到達点を教えていただきながら、それらを<幸福の経済学>に接続し、さらに厚みのある幸福研究にしたいというのが現在の問題意識です。

私は今まで、経済学の中でも経済学史という分野を研究してきました。経済学史というのは経済学がどうやって発展してきたかを歴史的に扱うものですが、さらにそのなかでも厚生経済学の形成史を勉強してきました。厚生経済学というのは、A.C.ピグーという経済学者にはじまる経済学の一分野で、経済学者の研究対象を<厚生welfare>と定義したうえで、それを最大にするにはどういう制度、政策を行えばよいかを考える分野です。<厚生>というのは、もっと一般的な言葉でいうと<幸福>のことなので、広くとらえれば<幸福の経済学>は厚生経済学の親戚(!)くらいのものです(その意味で、一応、私のなかでは両者の研究は連続しています)。

実は経済学というのは(しばしば誤解されるように金儲けの方法を考える学問ではなく)、社会の幸福を最大化するにはどういう政策を行えばよいかを考える哲学的な学問です。しかし不幸なことに経済学者は幸福を幸福として論じることができませんでした。まさに「できなかった」のです。『国富論』で有名なA.スミスが道徳「哲学」講座教授だったことからもわかるとおり、むかし、経済学は道徳「哲学」という幅広い学問の一部として研究されていました。しかし、西暦1900年前後の時期、A.マーシャルらが経済学を道徳哲学から分離させる運動をした際(それは学問的というよりは政治的なものでした)、経済学が哲学と似たようなものであっては分離させる理由になりませんから、経済学は独自の用語法や体系を持つすばらしい学問で、哲学から独立させるに値する学問だと主張する必要がありました。すなわち、幸福でなく厚生を、幸福論ではなく制度論や政策論を、思想ではなく理論を、マーシャルは志向し、のちの経済学者もほぼそれに従ったのです。

そのような事情もあり、経済学は幸福そのものではなく、幸福が何によって<代理>されているかを考えました。その<代理>変数の一つがGDP(国内総生産)です。GDPが高い国ほど、財量が豊富で、また多くの財を手にした国民の効用(=財から得られる満足感)の合計(それが厚生です)も大きいはずですから、GDPは厚生を代理すると考えたわけです。GDPや価格データが<客観的>であることもメリットと考えられました。それに対して<幸福>は<主観的>であり、アンケートなどで幸福度を聞いたとしても、あるときは10と答えた人が、別のときには5と答えたりしますので、そのような<あやふやな>ものは指標として不安定でだめだと思われました。

たしかに、経済学者のそのような非思想化・理論化・客観化という<決意>は、経済学を<社会科学の女王>にしました。(厚生)経済学は、位相数学やリニア・プログラミングなどと結びついた一般均衡理論(経済現象をモデル化してとらえる理論体系)にも支えられ、科学的な<装い>を身にまといました。しかしその<装い>とは裏腹に、その(ここでは「厚生経済学の」と解釈してください)結論は大したものではありませんでした。ある人が得をして、別の人が損をするような政策があった場合、(厚生)経済学的にその政策の良否は決定できない(Samuelson 1950)というようなものでしかありませんでした。

1991年に出版されたEconomic Journal誌の100周年記念号は、次の100年の経済学がどこに向かうかを特集しましたが、そのなかで複数のノーベル賞級研究者たちが、(厚生経済学の基礎にもなっていたと思われる)一般均衡理論は「夢の中」(森嶋通夫)のものにすぎず、経済学はもっと経験的な方向に向かうべきだという趣旨のことを述べました。またD.カーネマンという心理学者が、心理実験に基づき正統派の経済理論を修正する研究を行い(行動経済学の誕生)、ノーベル経済学賞を受賞(2002年)しました。そのようなことも機縁となり、<客観主義>的な経済学に対置される<主観主義>的な(幸福の)経済学が2000年ころから注目されるようになりました。

もちろん、客観主義経済学のすべてが無効になったといいたいわけではありません。経済学は広大な社会哲学として、多くの有益な概念や分析方法を提案しています。しかし、厚生経済学において、さきほど、得をする人と損をする人が併存するケースで政策の是非を評価できなかった理由は、経済学者が(L.ロビンズという人の批判に従って、潔癖に!)厚生・効用の比較・加算をしないというルールを守って、序数的な(厚生・効用の大きさを問題にせず、大小の順位のみを問題にする)議論を行ったからです。その点の厳しさを一段階<緩め>て、もしそれらの比較・加算を許せば(=主観的幸福度研究を認めれば)、実は乗り越えられるものがたくさんあるのです。<厳密には>たしかに異なった個人の幸福度を集計することは正しくないかもしれませんが、個人・社会の幸福・厚生の状態を<近似する>程度のことは可能で、そのような情報がないよりは断然<マシ>というのが私の意見です。それは客観的な経済分析を補完するものとして有意義であると思います。

いま世界はコロナウイルスへの対応で先が見えなくなっています。正直なところ、私自身も、どうすればそれを乗り越えられるのか、わからずにいます。しかしただ、どんなときにあっても、さまざまな制度や政策の目的が、社会の(一部のではなく)<全>構成員の<幸福>の増大であるということだけは間違いないでしょう。このようなときこそ、無力な個人に降りかかった不幸は、慈悲に満ちた社会の力で救われるべきであると思います。非力ながら、私もこの幸福研究を通じてその方策を考えていきたいと思っています。

金井 辰郎 教授

新潟県生まれ
「人のために生きる」をモットーに、しかし、現実にはそうでもない自分を3日にいっぺんくらい反省しながら生きています笑。

金井研究室

最近のゼミ生は多くが心理学と経済学にまたがるようなテーマで研究しています。昨今はウイルス対策でゼミもすべてオンライン(Microsoft Teams)でやらざるを得ないのですが、みな一生懸命頑張っています。早く事態が収束して、大学でゼミがやれるようになるといいなあと思います。

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