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※教員の所属・役職及び学生の学部・学科・学年は取材当時のものです。

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山川を愛する者よ、水源地をめざそう

VOL.019 山田 一裕(環境エネルギー学科)

本学に着任してから7年目を迎えました。仙台在住は17年目です。専門分野は「水処理工学」から出発し「環境生態工学」「水環境管理・評価」や「環境教育」です。担当科目は「水環境工学」「地域環境調査法」「資源循環工学」「環境ビジネス」などです。

2015年度から、中国山西省の河川環境調査や環境教育プログラム・教材開発のため、現地に訪れる機会ができました。山西省は、山に囲まれた高原地帯で、黄河の支流、汾河流域に位置しています。高速道路から見える山々で植樹が至る所で実施されていましたが、その生育はまだまだです。共同研究のカウンターパートに案内され汾河の始まりである湧水(公園)を訪れました。そこに「飲水思源」の記念碑があり、水源地を大切に思われていることを知りました。しかし、家庭からの汚水や工場排水の対策は十分でありません。石炭採掘で有名な山西省では、石炭の運搬ダンプが頻繁に走り、各家庭の庭先などに石炭が野積みされており、雨水とともに石炭のカスが川に流れ込んでいるのが見受けられました。河川の水質保全はこれからです。

記念碑「飲水思源」

 

一方、街中ではいたるところでコミュニティーサイクル(シェアサイクル事業、仙台ではダテバイク)を見かけ、電動バイクやマイクロカーは当たり前のように走っていました。日本を追い抜く社会整備もあれば公害を誘発する部分も共存する中国の現代を感じ取りました。

山西省で見かけた電動マイクロカー

さて、「飲水思源」から次の言葉を思い出します。

「山川を愛するものは、深く水源地に入る。人を愛するものは、人道に入る。共に深きを要する。」

明治時代、銅の採掘事業で発生した排煙による山林の荒廃、鉱毒による渡良瀬川の汚染と、たび重なる洪水発生は、農作物や住民の健康に大きな被害を及ぼしました。日本の公害の原点とも呼ばれる足尾鉱毒事件を糾弾していた田中正造の言葉です。

本学に来る前は岩手県の大学で働いていました。その時に、今も尾を引く旧松尾鉱山跡地(岩手県八幡平市)の問題を知りました。そこで、東北の資源でもある水産廃棄物を活用した酸土壌改良資材を開発し、この成果を還元するために実践的に植樹活動「北上川の上下流を結ぶ緑の再生活動」を、所属するNPO(環境生態工学研究所)で企画・運営しています。今年で9年目を迎え、毎年、一般・高校生など400人を超える参加があるので、山田研究室では学生全員に協力してもらっています。寝食を共にすれば気心も知れますし、何より、人のため、自然再生のために汗をかくことの充実感を得てもらいたいからです。深く水源地に入っていますが、人道にはまだまだ修行が必要です。

植樹地の奥に新中和処理施設がある

さて、北上川の支流・赤川上流部に位置する旧松尾鉱山跡地は、かつて東洋一の硫黄産出で賑わいましたが、四半世紀を過ぎた今でもpH2の強酸性鉱山廃水が毎分16トンと大量に流れ、しかも強酸性・貧栄養土壌となった荒廃地での植生回復が阻まれています。排出先である北上川の水質保全のために、年間5億円の経費をかけながら半永久的な鉱山廃水の中和処理が施されています。強酸性水の湧出を押さえ、健全な水循環を取り戻すために、複数の団体が荒廃地の緑化活動に取り組んでいます。

詩人の石川啄木が盛岡にいた頃、松尾鉱山は本格的に開発されていました。衆議院議員であった田中正造が足尾銅山問題で天皇に直訴を試みたことを新聞で知った、当時15才の啄木が感銘を受けてつぎの詩を詠みました。啄木は、地方紙の号外を売って義援金を募り、足尾鉱毒地の被災者に送っています。

「夕川に葦は枯れたり 血にまとう民の叫びの など悲しきや」

啄木はどんな思いに駆られて行動したのか。2016年、18才から選挙権を得た今の若者に対して、啄木ならどのような授業をしてくれるでしょうか、興味深いです。現在、足尾鉱毒事件に関わる渡良瀬遊水池は、水生植物ヨシの日本有数の生産地で、よしず作りが地域の生業として続けられています。

現在、盛岡市北部の北上川沿いに、啄木が教壇に立っていた小学校(現在、 石川啄木記念館)があります。そこは、姫神山と岩手山を望め、北上川が流れる風光明媚なところです。啄木の小学校は、赤川(松川に合流して北上川に流れる)と北上川との合流点に位置します。鉱山開発が身近な存在であるこの地で、どのような教育をしていたのでしょうか。

北上川との合流直前(姫神山を望む)

ところで、正造の言葉で私が好きな言葉に次のようなものがあります。

「治水は河川の上にあらず、人心の上にあり」

2016年は、水俣病の公式認定から60年です。水俣病は、未だ、問題解決には至ってないと6割超の患者や被害者たちは思っています(朝日新聞他アンケート調査、2016年4月30日))。技術としての未熟さもあったでしょうが、種々の判断に謙虚さが無かったこともその後の拡大を招いた一因でしょう。過去の公害問題をはじめ、環境問題は技術的な課題としての受け止めも多いですが、正造の言葉は、科学や技術を扱う人の倫理観を問いているのでしょう。東日本大震災での原発事故を経て、アンケートで「科学者の話は信頼できない」とする回答が震災前の3倍(2012年度版科学技術白書)になるなど、専門家に対する信頼が揺らいでいます。このことも思えば、環境に限らず種々の問題を解決していくには、それを扱う人の技術だけでなく心も育てることが大事だということです。「人道をも至らずんば、科学と言えず」と言ったところでしょうか。

 

山田 一裕 教授

研究分野:環境生態工学、水環境管理、環境教育

山田研究室

水環境保全の視点から循環型社会づくりを目指しています。汚水浄化によって派生する処理水の有効利用を考えたり、生態系への影響を調べたりします。また、市民活動に役立てるため、環境情報の活用方法を研究しています。

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