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※教員の所属・役職及び学生の学部・学科・学年は取材当時のものです。

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大学教員の「新人」時代を振り返る

VOL.009 中島 夏子(教職課程センター)

こんにちは。教職課程センターの中島夏子です。私は「教育制度」や「教育課程」などの教職科目と、教育実習に向けた指導などを担当しています。教職課程を通して、教員になってもらいたいというのが第一ですが、そうでなくても、学生達が人として成長する機会となればいいなぁと思い、日々、仕事をしています。

<今年度の教職実践演習の様子。4年生が模擬授業をしているのを、2年生が聞いています。>

私は教育学を専門としていて、大学院では教授学習に関するコースで学んでいました。しかも、助手として働いていた前職では、「ファカルティ・ディベロップメント」という、大学教員の教育能力の向上のためのプロジェクトに関わっていました。となると、「教えるの上手なんだね。」と期待されることが多くあります。しかし実際には、教えることの理論は学んでいても、それを実行できるかどうかは、また別の話になります。工大の教員になって一年間は、本当に本当に大変でした。今回のエッセイでは、そうした新人の頃の話をしたいと思います。

私が工大に着任したのは6年前です。それ以前にも、別の大学で数年間、助手として働いていましたが、授業を担当したのは、この大学が始めてでした。ですので、大学教員の1年生のようなものでした。

しかも、その当時、私は母親1年生でもありました。生後6ヶ月の子どもというのは、もちろん可愛いですが、なかなか手のかかる存在でして、夜もまともに寝かせてくれない、保育園に入れば色々な病気にかかってくるという、そういう娘を抱えながら、大学教員としての仕事を始めることになりました。

授業をするにあたって、まず困ったことは、何を教えればいいのかが分からないということです。つまり、「教材作り」です。小学校から高校までの教員であれば、教科書がありますが、大学にはありません。市販のテキストなどは色々あるのですが、工大の学生達にぴったり合うものはありませんから、そうしたものを踏まえながら、独自の教材を作ることになります。しかし、これには非常の多くの時間がかかります。正確に時間を測ったことはありませんが、毎週、授業の直前まで学生に配付する資料や講義ノートの手直しをしていたのを覚えています。これは、一度作ってしまえば、その後は手直しをしながら使えるので楽なのですが、着任1年目は、毎週新しいものを作らなければならないので、毎日、何かの締め切りに追われているような気持ちでした。

次に困ったことは、時間配分です。大学の授業は90分ですから、それより長くても、短くてもいけません。自分が学生/生徒でいる時には、教員が授業時間ぴったりに終わるのは当たり前で、それより少し伸びたりすると、イライラしていました。しかし、これを実際に教員の立場になって、やろうとすると、非常に難しいのです。多くの場合は、時間が足りなくなりました。正確には、例えば授業の残りが20分あったとして、終わるにはまだ早いと思い、別のテーマに移ると、時間が足りなくなりました。また、学生達の授業時間内での学習時間の見積もりが甘くて、時間が足りなくなることも多かったです。多くの場合、私の想定した時間の倍近い時間がかかっていました。それは、学生達が怠けていたというわけではなく、10年以上教育学を学んでいる人間(私)と、この授業が初めての人間(学生たち)とで、問題を解いたり、まとめの表を作ったりする時間に差があって当たり前であるにもかかわらず、それを私が十分に理解していなかったということです。教職科目は5講時に行われていましたので、次に授業がある事はなかったのですが、遠い子は岩手や山形から通っていましたので、その子たちの帰宅時間を考えて、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

<2年生の時から板書の練習をさせるようにしていますが、これにかかる時間を予測するのにも、試行錯誤がありました。>

以上のことに加えて、母親1年生であった私は、それとの両立にも四苦八苦していました。自宅に戻れば、怒涛の育児と家事ですし、夜も何度も起こされるので、気を抜くと倒れてしてしまうような状態にありました。その状態で、子どもが保育園からもらってきた病気の看病をするので、当然の事ながら何度も感染していまいました。

こうした状況だったので、ある時は、その前の週にひいた風邪のせいで、ほとんど声が出なくなってしまいました。仕方が無いので、黒板に「声が出ないので、今日はプリント学習とします。ごめんなさい。」と書き、急遽作成したプリントで授業をしました。こうなると、「良い授業」以前の問題で、授業として成立しているのかどうかも怪しいものです。この時に、未だに忘れられないのですが、数名の学生が私のところに来て、のど飴をくれました。そして、学生達は私が作ったプリントに真面目に取り組み、何とかその時の授業を乗り切ることができました。

私の大学教員としての仕事は、こうした学生達に支えられて、ここまで来ることができたといっても過言ではありません。まだ今でも「良い授業」とまではいえませんが、「それなりの授業」ができるようになったのは、教材づくりや時間配分に試行錯誤する期間があってのものですから、それを支えてくれた、これまでの学生達のおかげだと思っています。また、私が授業作りに集中できたのは、同僚の先生方がそれ以外の仕事を引き受けてくださっていたからだと、後になって気がつきました。ありがとうございます。

つい先日、私の初めての教え子が、私の研究室に挨拶に来てくれました。上記ののど飴をくれた学生の一人です。いつも一番前に座って、私の授業を受けていました。喜ばしいことに、その(元)学生は、来年度から宮城県の教員として働くことになりました。今後、その(元)学生が教えた生徒の誰かが工大に入ってきて、私の授業を受けるということもあるのでしょうか。そう考えると、大きな時の流れを感じさせられます。

また、倒れる寸前まで追い込まれた育児も、親としての先輩の建築学科の石井先生がアドバイスしてくださった通り、娘が3歳になる頃には少し楽になり、6歳になった今では、頼もしさを感じるまでになりました。その娘の将来の夢は、「お母さんの大学の大学生になって、ヤギの「もちたろう」と「あんこちゃん」のお世話をすること。」だそうですので、10数年後には、娘がお世話になります。教職員の皆様、よろしくお願いいたします。

 

中島 夏子 講師

教員養成に関する研究と大学のカリキュラムに関する研究を行っています。

担当科目:教育課程論、教育制度論、教育実習事前・事後指導、教職実践演習

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