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※教員の所属・役職及び学生の学部・学科・学年は取材当時のものです。

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政治を教えることは難しい

VOL.003 片山 文雄(教職課程センター)

政治を教えることは難しい。

ここ工大で、2年生向けの政治学の講義をするたびに、そう思います。

どんな科目も上手に教えることは至難の業だ、ということは分かっているつもりです。しかし、技術や能力ではうまく対処できない、独自の難しさが、政治学にはあると思うのです。

 

僕らの生活を守るために法律をつくったり、法律にもとづいていろいろなサーヴィスを提供したりすることが政治です。その本質は、全員が従わなければいけない決定を下すことにあります。たとえば消費税を8パーセントと決めることは政治の仕事です。

僕らは誰も政治から逃れることができません。だから誰でも、政治について意見をもちます。自分のいまの暮らしや将来が政治によって左右されることを強く実感すればするほど、その意見はクリアになってきます。

たとえば僕が「消費税を15パーセントまで上げるべきだ」と意見を述べれば、それは僕だけが高い税を払いたいということではなく、全員が払うべきだというメッセージなのです。だから、他人の政治的意見を耳にしたとき、自分には関係ないと流すことは難しく、しばしば熱い議論を巻き起こし、ケンカになったりするのです。インターネットをみれば、あちこちで見かけるでしょう。政治に関する意見とは、「僕はジャズピアノが好きだ」という趣味の話とは違うのです。

そして、もう一つの問題なのですが、政治についての意見が全員一致するということはほとんどありえないのです。増税で大変な辛さを味わっている人もいます。しかしお金がたっぷりある人なら消費税8パーセントくらい気にならないかもしれない(もしくは、自分は政府の世話になどなっていないからそもそも税を払いたくないと思うかも)。今年の国会で荒れに荒れて結局成立した安全保障法制、あれを歓迎する人もいれば、反対する人もいます。やっかいなことに、それぞれに理由があるのですね(ちなみに、僕は今回の法案には反対です。違憲だと思うし、よい効果が期待できるとは思わないし、立法の手続きもおかしかったと思うからです。しかし、賛成の立場の人にも理由があるのです)。

写真は本文とは関係のないデモ風景

さて、政治の議論は他人事ですまされないので熱くなりやすく、ケンカになるおそれもある。政治の議論はいろいろな立場・考え方がありえて、唯一の正解があるのかどうかも分からない――こういう性格をもつ学問を講義するということが、独特の難しさをもつということを、ある程度伝えることができたかなと思います。

しかも大学の講義です。つまり、学生は15回きちんと出席して、テストを受けて、採点され、成績をつけられるわけです。そして工大には政治学の講義は僕の講義しかない。僕の政治的意見が自分の意見と違っていても、別の先生の講義を受けることができないわけです。このような条件のなかで、政治について、学生にとって有意義な講義をすることの難しさは、かなりのものです。

ついでに言えば、これが一般の方々を対象に行う市民講座なら、事情は少し違います。市民講座の参加者にとって僕の講義はさまざまな政治情報の一つにすぎませんし、気に入らなければもう参加されなければいいのです。成績もつけませんから、安心して講師とケンカすることもできます(実際に、それに近いことになったこともあります。正直に言って、とても刺激的で面白かったです)。

 

さて、難しいというだけでは話をお終いにはできません。なんといっても、明日も政治について講義をしなければならないのです。どう講義すればいいか。

まず、政治についてはいろいろな立場があり、考え方があること、講師の考え方もその一つであるということを前提にしなければなりません。講師の政治的スタンスに近い学生を高く評価するなどということがあってはならない。反論しづらい立場にいる学生のことを考えれば、フェアではありません。

しかしもっと深刻な危険は、賛成でも反対でもなく「中立」である、というスタンスをとることのなかに潜んでいます。

安保法制も、アベノミクスも、沖縄基地問題も、賛成の人がいる、反対の人がいる、しかし僕はどちらでもない――。こうした議論は、端的にいって面白くありません。どうしても政治から逃げられない僕たちは、どうしても政治について立場を決めないといけないという、この切迫感を伝えられません。

さらに、「中立」を装いながら、実はある立場を暗黙に勧めたり、排除したりしている場合もあります。教員自身が無自覚であることさえも。

 

政治学を学ぶ意味は、「正しい立場・考え方」を一方的に教わって信じ込むことにあるわけではない。かといって、「いろいろな立場・考え方」をカタログ的に知るだけでも足りない。そのカタログのなかから、学生が自分で、自分がいま「正しい」と思う立場・考え方を意識的に選びとり、その立場から主張し、議論できるようにならなければいけない。ここに、政治学を学ぶ目標があると僕は考えています。

 

学生が自分の考え方をもてるようになるため、考え方の筋道(賛成派はどう考えているか、反対派はどうか)を教える。また、この主張が正しいと考える根拠となる基本的データを教える。さらに、データの探し方を教える。――このような教育が説得力をもつためには、教員もまた、「どうでもいい」ではなく、自分の立場に責任をもち、かつ、つねに自分の立場を揺さぶりながら、再検討しなければならないと思います。自分に自信を持ちすぎると他人を攻撃したくなりますから、それはほどほどにしておくこと。

これは、ゆるぎない自分の考え方を持てない、未熟で不安定な人の繰り言でしょうか? それとも、突き放した冷静さを欠き、自分のこだわりを諦めきれない人の小言? しかし、その両極の間で、毎日やっていくしかないのです。

片山 文雄

研究テーマや方針
植民地期から建国期を中心としたアメリカ政治思想史を、建国の父の一人で「代表的アメリカ人」として 著名なベンジャミン・フランクリンを主な対象として研究している。フランクリンを素材に、①アメリカ の社会観・政治観・法観の独自性を抽出すること、そして②近代社会の基本構造を再検討すること(宗教 と世俗化の問題を含む)を目指す。さらに、それを現代日本政治の理解へと生かしていきたい。

教職課程センター

担当授業科目:教職実践演習(高)、日本国憲法、情報社会とモラル 、市民と法、市民と政治

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