プレス・メディア
論文とプレス発表の内容は以下になります。
単一コロイド量子ドットで電気的なスピン検出と制御に成功
~環境調和型材料から拓く量子・スピントロニクス技術~
1.発表者:
柴田 憲治(東北工業大学工学部電気電子工学課程 教授)
滝口 智稀(東北工業大学工学部電気電子工学課程 学部学生)
佐藤 明 (東北工業大学工学部電気電子工学課程 学部学生)
佐々木 悠人(東北工業大学工学部電気電子工学課程 学部学生)
大塚 朋廣(東北大学材料科学高等研究所(WPI-AIMR)兼電気通信研究所 兼大学院工学研究科電子工学専攻 兼先端スピントロニクス研究開発センター 准教授)
2.発表のポイント:
◆半導体コロイド量子ドット1個における単一スピン状態の評価と磁場制御に成功
◆単一電子トランジスタで室温動作を実現
◆RoHS準拠の環境適合材料を用い、持続可能な量子情報・スピントロニクス応用へ前進
3.発表概要:
半導体コロイド量子ドット(*1)は、人工原子とも呼ばれる半導体の極微小な粒子で、太陽電池などの光電デバイス(*2)の活性層として近年注目されており、これまでに光学的特性は比較的よく研究されてきました。一方で、コロイド量子ドットの電気的性質の研究は少なく、特に単一のコロイド量子ドットの電気伝導の評価は技術的に困難であるためほとんど行われておらず、解明すべき問題が数多く残されています。
本研究グループは、2年前に半導体コロイド量子ドット1個を用いた単一電子トランジスタ(Single Electron Transistor: SET)(*3)を作製し、従来困難だった単一量子ドットの電気伝導の詳細な評価に成功するとともに、室温での SET 動作を初めて実現しました。この成果は、コロイド量子ドットの光電デバイスや量子情報デバイスへの応用に向けた重要な第一歩となりました。
今回の研究では、その成果をさらに発展させ、RoHS規制に準拠した環境負荷の低いInAsコロイド量子ドットを用いた SET において、磁場下での電気伝導特性を解析することで、単一スピン状態の評価と制御に成功しました。これにより、単一電子だけでなく単一スピンの操作が可能であることを実証し、量子情報デバイス(*4)やスピントロニクスデバイス(*5)への応用に向けて大きな前進を果たしました。
本研究成果は公益財団法人高橋産業経済研究財団、公益財団法人JKA研究補助事業などの支援を受けて実現しました。成果論文は米国化学会が刊行する国際学術誌「ACS Nano(エーシーエス・ナノ)」に2026年1月4日付で掲載されました。
4.発表内容:
① 背景
量子ドットは、半導体で構成されたナノメートルスケールの微粒子であり、原子に類似した離散的なエネルギー準位を持つことから「人工原子」とも呼ばれ、高い制御性とともに注目を集めてきました。なかでも半導体コロイド量子ドットは、近年、太陽電池などの光電デバイスの活性層材料として有望視されており、溶液プロセスによる製造の容易さから、活発な研究が進められています。
光電デバイスへの応用に向けては、コロイド量子ドットの光学的・電気的性質の理解と制御が不可欠ですが、これまで比較的評価が容易な光学的特性については詳細な研究が蓄積されてきた一方で、電気的特性、特に単一の極微小量子ドットにおける電子輸送やスピン状態の評価は技術的に困難であり、未解明の課題が数多く残されていました。
こうした量子ドット1個の電気的性質を評価・制御する手段として知られているのが、単一電子トランジスタ(Single-Electron Transistor: SET)です。SETは量子ドット単体の電気的特性を明瞭に捉えることができるだけでなく、量子情報処理のキーデバイスとしても注目されています。
本研究グループは2年前、PbSコロイド量子ドット1個を用いたSETを作製し、従来困難だった単一量子ドットの電気伝導の詳細な評価に成功するとともに、室温での SET 動作を初めて実現しました。この成果は、コロイド量子ドットの量子デバイス応用に向けた重要な第一歩となりました。
② 研究内容
今回の研究では、前回の成果をさらに発展させ、市販のInAsコロイド量子ドット溶液を用いてSET構造を作製しました(図 1)。なお、InAs 量子ドットは RoHS 規制に準拠しており、PbS と比べて環境適合性に優れた材料です。ゲート電極として導電性シリコン基板を用い、量子ドット中の電子数を制御しました。溶液プロセスによる量子ドットの分散配置が可能である点も大きな特徴です。
低温での測定により、電子が1つずつ量子ドットを介して流れることを示す菱形構造(クーロンダイヤモンド)が明瞭に観測され、素子がSETとして機能することを確認しました(図2a)。特にサイズ約6ナノメートルの量子ドットを用いたSETでは、電子間相互作用が室温の熱エネルギーを大きく上回るため、室温でもSETとして動作することが実証されました(図2b)。これは、コロイド量子ドットを用いたSETではPbSに続く2例目の室温動作SETであり、材料の違いによる新たな展開を示すものです。
さらに磁場中での特性変化を解析した結果、量子ドット内の同一軌道に形成されるスピンの向きが異なる2つの電子準位に対応する2つの伝導度ピークが、磁場により大きくシフトする様子を観測しました(図3a, 3b)。2つのピーク間隔は磁場に比例して増加し、ゼーマン効果(*6)による電子準位の分裂が明確に捉えられました。この振る舞いから導出された電子の磁場感度を表すg因子(*7)は15という非常に大きな値を示しました(図3c)。このような顕著なスピン応答が得られた背景には、InAsが本質的に強いスピン軌道相互作用を持つ材料であることがあり、これが単一スピン状態の検出と制御を可能にした主要な要因と考えられます。
③ 今後の展開
本研究で得られた成果は、コロイド量子ドットの光電デバイスへの応用に貢献するだけでなく、量子効果が顕著な極微小量子ドットを活用した量子情報デバイスやスピントロニクス技術への展開にも新たな可能性を拓きます。2年前のPbSによる室温SET動作の実現を基盤とし、今回のInAsによる単一スピン状態の検出・制御成功は、量子デバイス研究の次なるステップを示すものです。
さらに、InAs 量子ドットはRoHS規制に準拠した環境適合材料であるため、持続可能な量子デバイス研究や環境調和型スピントロニクス技術の基盤としても期待されます。
5.発表雑誌:
雑誌名:「ACS Nano」
論文タイトル:Magnetotransport and Coulomb Blockade in Single InAs Colloidal Quantum Dot Transistors
著者:Kenji Shibata, Tomoki Takiguchi, Akira Sato, Yuto Sasaki, and Tomohiro Otsuka
DOI:https://doi.org/10.1021/acsnano.5c14784
6.用語解説:
*1)半導体コロイド量子ドット
量子ドットとはナノメートルスケールの半導体微粒子で、電子が量子力学的な飛び飛びの電子状態を持つことから「人工原子」とも呼ばれる。2023年には量子ドットの発見者3名がノーベル化学賞を受賞した。本研究で用いたコロイドInAs量子ドットは、表面保護膜(有機配位子)によって安定化され、溶液プロセスで容易に取り扱うことができ、電子デバイスへの応用が可能である。さらにRoHS規制に準拠し、鉛を含まないため環境負荷の低い材料である。
*2)光電デバイス
光を放出するか、光を検出することができる電子デバイスの一種。光と電荷の相互作用を利用して、光を電気信号に変換したり、その逆を行ったりする。代表的な例は、前者が太陽電池、後者がディスプレイである。
*3)単一電子トランジスタ
1個1個の電子をゲート電圧で制御して流すことができる究極の省エネルギー素子。作製には、2つの電極の間に数百~数ナノメートル程度の“島構造”を準備する必要があるなど、非常に高度な作製技術が要求される。“島構造”のサイズが小さいほど量子力学的な効果が顕著に観測され、高温動作も可能になる。本研究では、直径が6ナノメートル程度の微小なコロイドInAs半導体量子ドットを単一電子トランジスタの“島構造”として用いている。
*4)量子情報デバイス
単一の光子や電子、スピンなどに情報機能を持たせることで情報処理を行う電子デバイス。次世代の情報処理や通信を担うとされており、量子コンピュータや量子暗号通信、量子センサなどに用いられる。単一光子発生器・検出器や単一電子トランジスタ、単一光子・スピン変換デバイスなどが該当する。
*5)スピントロニクスデバイス
スピントロニクスは、電子の電荷に加えて「スピン(磁気的性質)」を利用する技術で、情報の記録や処理を高効率に行える次世代デバイスとして注目されている。スピントロニクスデバイスは、低消費電力・高速動作・高集積化が可能で、量子情報処理への応用も期待されている。
*6)ゼーマン効果
磁場を加えることで電子のエネルギー準位が分裂する現象。電子のスピン状態を外部磁場で制御できることを示す基本的な物理効果であり、スピントロニクスや量子情報処理において重要。
*7)g因子
電子の磁場に対する感度を表す物理量。値が大きいほど磁場によるスピン状態の分裂が顕著になり、スピン制御に有利となる。本研究では非常に大きな値(15)が得られたことが特徴。
7.研究支援:
本研究は、公益財団法人高橋産業経済研究財団、公益財団法人JKA研究補助事業(競輪、助成番号:2023M-380)東北大学電気通信研究所 共同プロジェクト研究(採択番号:R06/A04)、による助成を受けて行われました。また、研究の一部は、東北大学電気通信研究所研究基盤技術センターおよびナノ・スピン実験施設で実施されました。
8.添付資料:
<参考図>

図1 1個のコロイド量子ドットを用いた単一電子トランジスタ(SET)の試料構造
(a)間隔がナノメートルサイズの金属電極(ナノギャップ金属電極)と電極間に分散したInAsコロイド量子ドットの電子顕微鏡写真。コロイド量子ドットは直径6ナノメートル程度。左下の線の長さが50 ナノメートルを表す。(b)InAs コロイド量子ドット1個を用いた SET の試料構造と測定回路を示す模式図。ソース・ドレイン電極間に電圧をかけ、量子ドットを介した電流を測定する。ゲート電極に電圧をかけることで量子ドットを流れる電流を制御できるトランジスタ構造となっている。
図2 単一コロイド量子ドットトランジスタの低温と室温における電気伝導特性
直径5.6ナノメートルの単一InAsコロイド量子ドットSETにおいて、(a)低温(4 K)と(b)室温(290 K)で観測された電気伝導特性。電子が1つずつ量子ドットを介して流れることを示す菱形構造(クーロンダイヤモンド)が観測された。室温でもクーロンダイヤモンドが観測されたことから、この素子が室温でもSETとして動作することが示された。
図3 SETの伝導特性の磁場依存性
(a)直径7.1ナノメートルの単一InAsコロイド量子ドットトランジスタにおいて4 Kの低温で観測された電気伝導特性の磁場による変化。量子ドット内に形成される同一軌道でスピンの向きの異なる2つの電子準位を電流が流れることに対応する2つの伝導度ピークの位置が磁場に依存して変化する様子が観測された。(b)2つの伝導度ピーク位置の磁場による変化量。(c)2つのピーク間隔の磁場による変化量。ピーク間隔が磁場に比例して増加し、もともと同一エネルギーだった電子準位が「ゼーマン効果」によって分裂する様子が観測された。この様子から、電子の磁場に対する感度を表すg因子が15という非常に大きな値を持つことが明らかになった。
