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2026/06/09 猿渡学(映像イメージ研究室)
近年、学校教育のデジタル化が急速に進んでいます。タブレット端末や電子教科書が導入され、授業資料もオンラインで配布されることが珍しくなくなりました。こうした環境の変化によって、ノートを取る方法も大きく変わりつつあります。最近は、スマホで音声を録音し、AIによって文字起こしだけではなく、その内容なども簡潔にまとめてくれます。そういう意味でデジタル(ノート)は便利です。
しかし興味深いことに、世界有数のデジタル先進国である北欧諸国では、教育におけるデジタル機器の活用を見直す動きが始まっています。デンマークでは学校でのスマートフォン利用を制限する方針が進められ、「デジタルとアナログのより良いバランス」が議論されています。さらにスウェーデンでは、紙の教科書や手書き学習を重視する政策へと舵を切り始めました。背景には、読解力や集中力、学習効果に対する懸念があります。
こうした教育現場の変化を裏付ける研究もあります。2014年、心理学者のパム・ミューラーとダニエル・オッペンハイマーは、ノートパソコンでノートを取る学生と、手書きでノートを取る学生を比較しました。その結果、単純な事実の記憶には大きな差が見られなかった一方で、概念の理解や応用力を問う問題では、手書きでノートを取った学生の方が高い成績を示しました。
研究者たちは、その理由を「書く速度の違い」にあるのではないかと考えているようです。キーボードは速いため、話された内容をそのまま記録しやすくなります。一方で手書きは速度が遅いため、何が重要なのかを選び、自分なりに整理しながら書く必要があります。つまり、手書きのノートでは、書くことそのものが考えることになるのです。
さて、私は大学で写真について研究しています。写真は単なる記録ではないと考えています。そこには、撮影した人が何に心を動かされ、何に立ち止まり、何を大切だと感じたのかが残っています。私たちは写真に写っているものだけでなく、その背後にある撮影者の視線や感情を読み取ろうとします。
私は、そのような「何かがそこに存在したことを示す跡」を「痕跡(こんせき)」と呼んでいます。そう考えると、ノートもまた一種の痕跡なのかもしれません。
急いで書いた文字。何度も引き直した線。余白に書かれた小さなメモ。そこには授業の内容だけではなく、そのとき何を考え、何に疑問を持ち、何を理解しようとしていたのかが刻まれています。しかし、整えられた文字や画面の向こう側には、そうした思考の揺らぎが見えにくくなることがあります。だから私は今でも手書きのノートを大切にしています。ノートとは、知識を保存するための道具であるだけではありません。
それは、自分が考えたことの痕跡を残す場所なのです。
そして後から見返したとき、そこには授業やミーティングの内容だけではなく、その頃の自分自身の姿もまた残されているのだと思います。

写真研究の一つ:手作業の痕跡です
