東北工業大学

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※教員の所属・役職及び学生の学部・課程・学科・学年は取材当時のものです。

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成り行きと縁

VOL.091 藤田 豊己(電気電子工学課程)

 こちらは、私が大学院生時代に初めて製作したロボットです。「メッセンジャーロボット」というコンセプトで、姿勢を変えずに前後左右へと、全方向へ移動できる機構を備えています。一から設計し、ボディの組み立てから電子回路の作製、プログラミングまでを一通り自分で行いました。苦労して製作した機体が、初めて制御通りに動いたときの感動は、今でも忘れられません。
 とはいえ、最初からロボットの道を志向していたわけではありませんでした。学部4年生のときにロボット工学の研究室に配属されましたが、当時、ロボットはまだアニメの中で見る程度のもので、現実的な存在とは捉えていませんでした。その年に着任した新しい教授がロボットの研究室を立ち上げるというので、情報もないまま興味半分で選んだに過ぎません。本音を言えば、厳しい研究室を避けるために選んだようなものでした。当時の私は決して真面目な学生ではなく、何よりもアイスホッケーの部活動を最優先にしていたからです。

 大学入学後にアイスホッケーを始めましたが、これも最初から入部を決めていたわけではありませんでした。入学直後、生協の前で勧誘され、軽い気持ちでその日の陸上練習を見学しました。その夜、先輩のアパートでさまざまなご馳走になり、気づけばそのまま入部していたというわけです。成り行きで飛び込んだものの、スケートの経験はほとんどありませんでした。そのため毎日のようにスケートリンクに行き、転び、傷だらけになりながら、一からスケーティングを覚えました。
 やがて氷上でのプレーに何とかついていけるようになり、2年生になるとゴールを決める喜びも覚え、プレーヤーとしての面白さを感じ始めていました。しかしそんな矢先、同期のゴールキーパーが退部してしまいます。試合を戦う上では控えのキーパーが必要であり、将来の後継者も求められていました。そこで私に白羽の矢が立ったのです。プレーヤーへの未練はありましたが、これも何かの巡り合わせと思い、ポジション転向を引き受けることにしました。
 ゴールキーパーの練習は孤独でした。基本動作の練習もプレーヤーとは別メニューで、チームメイトのシュートをひたすら浴び続ける日々が続きます。その中で、上手くなるためにはどうすればよいのかを自ら考え、自主的に練習に取り組むようになりました。何をするにしても本来必要なことですが、このとき初めて「考えながら取り組む」ことの重要性を実感しました。
 また、ゴールキーパーは「自分との闘い」という側面が大きいポジションでもあります。相手のシュートを受けるという意味では受動的ですが、気持ちまで受け身になってしまうとやられてしまいます。相手を甘く見て心に隙を作れば失点しますし、慎重でありながら積極的に向かっていかなければなりません。まさに人生そのものだと思います。自分のミスが失点に直結するためプレッシャーも大きい一方、自分が完璧なら試合に負けることはないという、やりがいのあるポジションでもありました。
 こうして私はホッケーに深くのめり込んでいき、最終目標としていた大会がある4年生の12月までは、すべてにおいてホッケーを最優先させました。そのため、研究室での卒業研究はおろそかにしてしまい、周囲には多大な迷惑をかけました。それでも、ホッケーを通じて重ねた様々な経験は、自分を大きく成長させてくれたと思っています。

インカレで私立大学の強豪校と対戦できたのも良い経験でした

 そういったわけで、私が本格的にロボットの研究に取り組むようになったのは大学院に入ってからのことでした。自分で手を動かしてロボットを製作するうちに興味がさらに深まり、結果として博士課程への進学、そしてその後の研究生活へと道が続いていきました。

 ホッケーへの執着も途絶えることはなく、大学卒業後もクラブチームに参加して試合に出場し続けました。また、当時競技が始まったばかりのインラインホッケーもするようになりました。2001年からアメリカのバークレーで生活することになりましたが、現地にはスケートリンクだけでなく、近郊のオークランドにインラインホッケー専用のリンクまで存在していました。そこでは毎日さまざまなレベルでリーグ戦が行われており、キーパーを欲していた2つのチームに誘われ、週2回はプレーしていました。当初は渡米先でホッケーができるとは想像もしていませんでしたが、蓋を開けてみれば日本にいたとき以上にプレーしていました。何とも不思議なものです。
 その後、ポルトガルで生活した際にはさすがにホッケーができる環境はなく、2007年に日本へ戻ってからもしばらくプレーしていませんでした。しかし数年後、私の研究室に配属された学生がアイスホッケーをやっていることを知ります。それがきっかけとなり、彼が所属するチームに参加させてもらう形で、再びホッケーを始めることになりました。コロナ禍で一時期リンクから遠ざかることもありましたが、今でも時折練習会に参加してプレーしています。

 また、ロボット研究においても、私が学生時代に指導教授が立ち上げた「知能ロボットコンテスト」が今なお継続していることを知り、その運営に携わることになりました。今年で38回目を迎える歴史あるコンテストとなり、現在では私の研究室からも毎年チームを組んで出場しています。

2023年の第35回大会に研究室で出場したロボット


 振り返ってみれば、ロボットの研究も、ホッケーを始めてキーパーになったことも、何となくの成り行きでしたが、それも一つの縁であり、そこからまた次の縁が生まれてここまでつながってきています。たとえ成り行きで始めても、少々のことではやめずに続けることが大切であることを実感する次第です。

藤田 豊己 教授

神奈川県横須賀出身で、大学入学時から仙台に移りました。その後、東京、アメリカ、ポルトガル、と転々とした後、2007年に本学に着任しました。当時の電子工学科が知能エレクトロニクス学科に改組となった年で、良いタイミングでした。その後は流浪することなく仙台に落ち着いています。子供の頃には遠野で暮らしていたり、先祖が丸森出身であったりと、東北には縁があると感じています。

知能ロボット研究室

周囲の状況を認識し、環境に合わせて目的に応じて自律的に行動する「知能ロボット」に関する研究を行っています。特に、災害現場や建設現場などの人間に危険な現場で活躍することができるロボットのために必要な運動機構や視覚機能などを中心に研究を進めています。また、学生が自ら発想したロボットの開発にも積極的に取り組んでいます。

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