意図を超えて
生まれる未来への痕跡

猿渡 学 教授/
経営デザイン学科
写真の観点でエスキースを訳すと“構図”の意味になりますが、自分が作品としてプリントしているものは、いわゆる三分割構図や黄金比といった定番のセオリーに基づいたものを必ずしもベストショットとして捉えていません。構図を決める時はいつも感覚的で、これだとひらめきを得た時しかシャッターを切りません。さらに、具体的にこんなものを撮ってみたいというような願望を常に持ち合わせているわけでもありません。私にとっての未来のエスキースとは、何が飛び出してくるか想像できない結果を、責任を持って受け止めることです。写真は、基本的に何かの痕跡を収めるもので、それがどんな意味を持つかを自分なりに引き受ける仕事です。予定調和を求めず、何ができあがるかわからない恐れを感じながらも、撮影中はどこか客観視して楽しんでいたりします。ロラン・バルトの「残るものは、いつも“意図しなかったもの”」という言葉に通ずる考え方でしょうか。過去の傷や痕跡こそが“生”そのものであり、それが感動的であるほど未来に大きな影響を与え、いつまでも残り続ける理由になると考えています。
学生たちが、この研究室で過ごす1年半で得られるものでしょうか。環境応用化学課程の学生たちの多くは、卒業後の将来像に具体的なイメージを持っていないことが多いように見受けられます。ですから、この研究室を選んでくれた学生、奇しくも選ばざる得なかった学生には、私の専門分野の指導を受けながら実験を繰り返し、科学技術への興味を高める下地を培ってあげられればと思っています。そして、就職や進学に役立つ知識や考え方を経験の積み重ねによりしっかり固めた上で、それぞれが望む未来へ向かってほしいと願っています。
私にとって未来のエスキースとは「日常」です。ただ意識せずに過ごすだけでは、何も気づくことはできないので、身近な物事もちょっと視点を変えて考えてみましょう。そうすれば、いつもと違った景色を目にすることができるはずです。スマホでネット検索したり誰かに聞いたりすれば、何らかの答えが得られるかもしれません。そうして得た知識を紡いでいき、違った糸口を発見することができれば、問題の本質にたどりつくことができるかもしれない。そんなプロセスこそ大切にしたいと考えています。
最近、環境問題やグローバルなビジネスを語る上で、「シンク・グローバリー、アクト・ローカリー(地球規模で考え、地域で行動する)」という標語をよく耳にしますが、私が提唱したいのはオープン・シンク・ローカリー。“開かれた没頭”でしょうか。これまでは、グローバルな視野をもってより多くを知り、誰よりも先んじる競争論理が尊ばれていましたが、最近の学生を見ると、等身大の自分らしさや周囲との共感を大事にしているように感じ、時代の進化を感じています。それは好ましく思えるのですが、その反面、SNSなどで発信して他人に承認されないと、自己を確認できない風潮になっているようにも思えます。学生たちには、そういう考えにとらわれず、何か好きなものを見つけて没頭することで、最後には他人から評価が得られる結果を生むかもしれないことを知ってほしい。特に私のような研究に取り組んでいると、多世代の人や地域の人に心を開き、いろいろ耳を傾けていくことで得られるものが多いと感じています。学生ゆえの自由な時間だからこそ、自分が没頭できるものを見つけ、心がおもむくままに練り重ねながら、他人の意見も受け入れていき、新たな価値に出会うチャンスを得てほしいと願っています。
東北が面白くなっていくような、そんな未来図です。これまで関東や関西に移り住んで学んだり働いたりしてきました。そこでは商業文化や歴史遺産などの点で、地方とは違う面白さを感じる機会がありました。東北では、土地の面白さがまだ未開拓であるように感じることがあります。山形に住んでいたときに、以前から知っていた山形国際ドキュメンタリー映画祭に関わらせていただく機会がありました。地元の人々の手で独自の文化を作り上げていく躍動感や面白さに触れ、とても感動しました。簡単ではないと思いますが、東北の各地で様々な文化がこれから生まれていく可能性があるのではないかと思っています。
今ある現実を正しく認識しないと、将来なんて描くことはできません。現状の課題を把握するために、どのような要素が絡み合い、どういう問題が発生しているのかを、表層面にだけとらわれずに原因を追求する姿勢が、何事においても必要だと思います。
世の中で起きているあらゆる問題が、実は他人事ではなくどこかで自分に必ずつながっていることも認識して欲しい。今すぐにその問題を直接的に解決する力はなくとも、原因に考えを巡らせ、また同じことが起こらないように改善方法を探る。より良き未来を描く思考力を身に付けるために、学生の時分だからこそ読書をしたりニュースに関心を持ったりして欲しいと願っています。
人でも地域でも、それぞれ大きな可能性を秘めており、それを見出して伸ばして行くことが肝心です。課題解決には、欠点を補うだけでなく、強みや持ち味をどのように活かしていくかも重要となります。だから、先入観で視野を狭めることなく、いろいろな人の意見を聞いてみたり、過去の出来事や未来へ目を向けてみたり、多角的な視点で考えを巡らせることがエスキースを描くということになるのではないでしょうか。
卒業後、大学で経験したことや学んだことが、必ずしもすぐに役立つことはないかもしれません。でも、それをすっかり忘れて捨ててしまうのはもったいない。いつか必要になる時に備えて知識や情報を整理し、あらゆる将来の可能性を考えて備えていくことが「未来のエスキース」だと考えています。
「未来のエスキース」を描くということは、ずばり“デザイン”そのものではないかと考えています。未来を思い描くためには豊かなイマジネーションが必要で、それこそがデザイナーが自らの中で培い続けるべき力です。そこには、人それぞれの生き様であったり経験などから学び得た知識だったりと、多彩なエッセンスが反映されます。だからこそ学生には、その素地を磨くことができる大学の学びの意義をしっかり自覚してほしい。エスキースって格好いい語感のイメージだけで捉えられがちですが、デザインを学ぶ上での本質的な意味を持っていることを学生たちに伝えていきたいですね。そして、常に先を見据えながらプロダクトデザインに臨む、その責任の重さについても思いを巡らせて欲しい。そう言いながらも、それを重荷だと思わず、新しい何かを世の中に生み出すワクワクを楽しんで欲しいとも願っています。
私の研究分野は、工学よりも自然科学の領域に近いと感じていますが、目の前の現象や数式に、なぜだろうと疑問を持つことがすべての出発点になります。だからこそ、自分の中にある知的好奇心に従って目の前の疑問に挑むことが、「未来のエスキース」だと信じています。
エスキースの原義とはちょっと離れてしまいますが、損得だけにこだわらない知的探求心でしょうか。人間は、頭で考えることができる能力を備えています。夜空の星がどうして美しく輝くのか、密林のゴリラたちがどのような生活をしているのかといった、世界にありふれている不思議に興味を向け、知りたいと思う意欲をずっと持ち続けることが大切です。そうして得た知識の積み重ねこそが、利益追求で森を切り拓き、ソーラーパネルで埋め尽くすような愚行を防ぐのだと考えています。学生たちにも、知りたいと思う意欲を持って勉強や研究に取り組んでくれることを願います。
研究活動はいつまでも可能ですが、大学教員としての仕事には期限があります。60歳を過ぎて、まるで将来の進路に思いを巡らせながら大学の4年間が始まる新入生のような心境にあります。何でも自由に描けるまっさらなホワイトボードを前にしている感じでしょうか。これまでのキャリアを活かす選択肢もありますが、また何か違った好きなことがこれからできるのではないかという期待感にも胸が躍っています。本学の学生たちには、自分が学んでいることを糧にホワイトボードへ自由に将来像を描いて欲しいし、そんな若者たちに習って、私自身も好きなようにこれからの行く先を描きたいと思っています。だから、私にとっての未来のエスキースは思い通り描けるホワイトボードのようなものでしょうか。