東北の地で未知の体験や
感動を通じて
心躍るような未来図

井上 雅史 准教授/
情報通信工学課程
東北が面白くなっていくような、そんな未来図です。これまで関東や関西に移り住んで学んだり働いたりしてきました。そこでは商業文化や歴史遺産などの点で、地方とは違う面白さを感じる機会がありました。東北では、土地の面白さがまだ未開拓であるように感じることがあります。山形に住んでいたときに、以前から知っていた山形国際ドキュメンタリー映画祭に関わらせていただく機会がありました。地元の人々の手で独自の文化を作り上げていく躍動感や面白さに触れ、とても感動しました。簡単ではないと思いますが、東北の各地で様々な文化がこれから生まれていく可能性があるのではないかと思っています。
今ある現実を正しく認識しないと、将来なんて描くことはできません。現状の課題を把握するために、どのような要素が絡み合い、どういう問題が発生しているのかを、表層面にだけとらわれずに原因を追求する姿勢が、何事においても必要だと思います。
世の中で起きているあらゆる問題が、実は他人事ではなくどこかで自分に必ずつながっていることも認識して欲しい。今すぐにその問題を直接的に解決する力はなくとも、原因に考えを巡らせ、また同じことが起こらないように改善方法を探る。より良き未来を描く思考力を身に付けるために、学生の時分だからこそ読書をしたりニュースに関心を持ったりして欲しいと願っています。
人でも地域でも、それぞれ大きな可能性を秘めており、それを見出して伸ばして行くことが肝心です。課題解決には、欠点を補うだけでなく、強みや持ち味をどのように活かしていくかも重要となります。だから、先入観で視野を狭めることなく、いろいろな人の意見を聞いてみたり、過去の出来事や未来へ目を向けてみたり、多角的な視点で考えを巡らせることがエスキースを描くということになるのではないでしょうか。
卒業後、大学で経験したことや学んだことが、必ずしもすぐに役立つことはないかもしれません。でも、それをすっかり忘れて捨ててしまうのはもったいない。いつか必要になる時に備えて知識や情報を整理し、あらゆる将来の可能性を考えて備えていくことが「未来のエスキース」だと考えています。
「未来のエスキース」を描くということは、ずばり“デザイン”そのものではないかと考えています。未来を思い描くためには豊かなイマジネーションが必要で、それこそがデザイナーが自らの中で培い続けるべき力です。そこには、人それぞれの生き様であったり経験などから学び得た知識だったりと、多彩なエッセンスが反映されます。だからこそ学生には、その素地を磨くことができる大学の学びの意義をしっかり自覚してほしい。エスキースって格好いい語感のイメージだけで捉えられがちですが、デザインを学ぶ上での本質的な意味を持っていることを学生たちに伝えていきたいですね。そして、常に先を見据えながらプロダクトデザインに臨む、その責任の重さについても思いを巡らせて欲しい。そう言いながらも、それを重荷だと思わず、新しい何かを世の中に生み出すワクワクを楽しんで欲しいとも願っています。
私の研究分野は、工学よりも自然科学の領域に近いと感じていますが、目の前の現象や数式に、なぜだろうと疑問を持つことがすべての出発点になります。だからこそ、自分の中にある知的好奇心に従って目の前の疑問に挑むことが、「未来のエスキース」だと信じています。
エスキースの原義とはちょっと離れてしまいますが、損得だけにこだわらない知的探求心でしょうか。人間は、頭で考えることができる能力を備えています。夜空の星がどうして美しく輝くのか、密林のゴリラたちがどのような生活をしているのかといった、世界にありふれている不思議に興味を向け、知りたいと思う意欲をずっと持ち続けることが大切です。そうして得た知識の積み重ねこそが、利益追求で森を切り拓き、ソーラーパネルで埋め尽くすような愚行を防ぐのだと考えています。学生たちにも、知りたいと思う意欲を持って勉強や研究に取り組んでくれることを願います。
研究活動はいつまでも可能ですが、大学教員としての仕事には期限があります。60歳を過ぎて、まるで将来の進路に思いを巡らせながら大学の4年間が始まる新入生のような心境にあります。何でも自由に描けるまっさらなホワイトボードを前にしている感じでしょうか。これまでのキャリアを活かす選択肢もありますが、また何か違った好きなことがこれからできるのではないかという期待感にも胸が躍っています。本学の学生たちには、自分が学んでいることを糧にホワイトボードへ自由に将来像を描いて欲しいし、そんな若者たちに習って、私自身も好きなようにこれからの行く先を描きたいと思っています。だから、私にとっての未来のエスキースは思い通り描けるホワイトボードのようなものでしょうか。
一言で表すなら「仕事」でしょうか。エスキースを構想という意味で考えるなら、私の大学での役割は構想を考え、その基礎的なアイデアを形にしていくことが「仕事」になります。好きで打ち込めるものであり、時には苦役に感じることもあります。強制されてやらざるを得ない状況に追い込まれることもあります。好きなことは仕事にするなと言いますが、困難な場面が何度も訪れながらも、ずっと続けていくものであると捉えています。
エスキースとは何であるかを考えてみたんですが、“手を動かすこと”なのかなと思います。頭の中に既に下書きのようなアイデアがあっても、それを形にするためにはまず一本の線を引かないと何も始まらない。その最初の一歩を踏み出すことが、とても大事なんです。もし、間違いに気づいたら 消して描き直せばいい。だから、まずは手を動かすことが重要で、頭の中にあるアイデアをきちんとアウトプットすることが、未来のエスキースだと自分なりにとらえています。
私が好きな小説に、喜多川泰著の「賢者の書」という名作があるのですが、その中に“そのとき人間が思い描く将来の完成図、それが「夢」なのだ。“という一節があります。理想の最終形を描くのが夢だとするならば、その手伝いをすることが私にとってのエスキースでしょうか。学生はそれぞれ抱いている夢を自由に描けばいい。いまだ形を成していない未熟な夢に輪郭を与えてあげるのが私の仕事だと思っています。
エスキースという言葉を、設計図や概念図という意味で捉えているのですが、今後、私が研究活動に進むべき“未来予想図"であると考えています。これからの未来を生きていく人たち誰もがハッピーになれるような技術を開発、進歩させていくことこそが、研究者としての私の責務であると思っています。